1983年(昭和58年)の流行/服飾史
文化/出来事
- 流行色=モノトーン系・・・・・DCブランドブームに連動
- コムデギャルソンとヨウジヤマモトの国内外での人気もあり、DCブランドブームが加速
- 創業者のココ・シャネルが死去して以来、低迷が続いていたシャネルのオートクチュール&プレタポルテのデザイナーに、クロエやFENDIで活躍してきたカール・ラガーフェルド(ドイツ人)が就任。ミューズに指名したフランス人モデル・イネスと共にブランド復興への取り組みがスタートさせた
- 毎日新聞社による大規模なデザイナー向けアワード「毎日ファッション大賞」がこの年からスタート
- 1980年代後半から1990年代にかけての国際的トップデザイナー・佐藤孝信が自身のブランド「KOHSHIN SATO」にて旧東京コレクションに初参加
- 前田徳子(現TOKUKO 1er VOL)がパリでの活躍を経てイタリアのマックスマーラ社入りし、スポーツマックスのデザイン分野のスタッフとして活動しはじめた
- 1950年代後半から数々の世界的デザイナーを育ててきた小池千枝氏が文化服装学院の学院長(10代目)に就任
- 第二次大戦から後の時期に挿絵画家・雑誌編集者などとして活躍し、高田賢三などの世界的デザイナーにも大きな影響を与えた中原淳一が死去
- GIVENCHYの日本でのイベントが開催され、ユベール・ド・ジバンシィと長年の盟友であるオードリー・ヘップバーンが来日
1983年度の主な賞受賞者
第1回 毎日ファッション大賞 | 大賞=川久保玲(コムデギャルソン)・・・・・同時期に国際デビューした山本耀司と共に国内外で大きな活躍を見せた事を受け、栄えある第1回の大賞を受賞 新人賞=菱沼芳樹(YOSHIKI)・・・・・・この年に自身の名を冠したブランドを創設 企画賞=大出一博(ファッションプロデューサー) 企画賞=株式会社資生堂 特別賞=新井淳一・・・・・テキスタイルプランナー |
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装苑賞 | 第53回 中村とも子 第54回 近藤善久 |
第12回 ベストドレッサー賞 | 河野洋平(政治・経済部門) 藤本義一(学術・文化部門) 糸井重里(学術・文化部門) 藤田まこと(スポーツ・芸能部門) 江本孟紀(スポーツ・芸能部門) など |
1983年当時の主な世界的ブランド
パリコレ系 | シャネル クリスチャン・ディオール イヴサンローラン クロード・モンタナ ティエリー・ミュグレー KENZO ISSEY MIYAKE ジャンポール・ゴルチエ クロエ・・・・・・デザイナーはカール・ラガーフェルド WORLDS END ソニアリキエル カステルバジャック アズディン・アライア コムデギャルソン ヨウジヤマモト [その他のパリコレ参加日本ブランド] ハナエモリ、ユキトリイ、カンサイヤマモト、ヒロココシノ、ジュンココシノなど |
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[FASHION CHANNEL公式ch内]
カンサイヤマモト1983-1984AWパリコレ映像
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コムデギャルソン1983-1984AWパリコレ映像
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KENZOパリコレ1983SS映像
1983年当時に活躍した主なモデル
海外で活躍した日本人 | 山口小夜子 秀香 富樫トコ 林マヤ |
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海外スーパーモデル | イネス・ド・ラ・フレサンジュ・・・・・この年からカール・ラガーフェルド率いるCHANELの看板モデルとして活躍し出す |
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