[雑学] 服飾/流行史
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- 流行ったブランド
- 活躍したモデル
- 出来事
- その年の賞受賞者
など国内・海外のファッション史を年度別に紹介
[情報ソースについて]
運営者が長いキャリアの中で自然と覚えてきた歴史情報と加えて、
各公式メディアの会社沿革・ブランド沿革などを参考にしています。
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1900年代から1950年代までのダイジェスト
活躍した主なデザイナー
19世紀後半 | シャルル・フレデリック・ウォルト(イギリス) |
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1900年代 | ジャンヌ・パキャン ポール・ポワレ(フランス) |
1910年代 | ジャンヌ・パキャン ポール・ポワレ(フランス) ガブリエル・シャネル(フランス) ジャンヌ・ランバン(フランス) |
1920年代 | ガブリエル・シャネル(フランス) ジャンヌ・ランバン(フランス) マドレーヌ・ヴィオネ(フランス) ジャン・パトゥ(フランス) ルシアン・ルロン |
1930年代 | ガブリエル・シャネル(フランス)・・・・・1939年に一度引退 ジャンヌ・ランバン(フランス) マドレーヌ・ヴィオネ(フランス) ジャン・パトゥ(フランス) エルザ・スキャパレリ(イタリア) マダム・グレ(フランス) |
1940年代 | マダム・グレ(フランス) クレア・マッカ―デル(アメリカ)・・・・・・彼女は非欧州系 クリスチャン・ディオール(フランス)・・・1947年デビュー ジャック・ファット(フランス) |
1950年代 | ガブリエル・シャネル(フランス)・・・・・1954年に復帰 マダム・グレ(フランス) クレア・マッカ―デル(アメリカ) マダム・カルヴェン(フランス) クリスチャン・ディオール(フランス)・・・・・1957年死去 クリストバル・バレンシアガ(スペイン出身) ピエール・カルダン(フランス/生はイタリア)・・・・Dior出身 イヴ・サンローラン・・・・・Diorの2代目デザイナー ピエール・バルマン(フランス) ジャック・ファット(フランス)・・・・・1954年死去 ユペール・ド・ジバンシィ(フランス) |
江戸時代から1940年代までのダイジェスト(国内)
1610年代 | 1610年:織田信長とのゆかりがある人物(伊藤蘭丸祐道)が、名古屋にて松坂屋の起源となる呉服小間物問屋が開業 |
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1670年代 | 1673年:三井高利が江戸で「越後屋」を開業(三越の起源) |
1710年代 | 1717年:京都にて百貨店・大丸の起源である「大文字屋」が開業 |
1830年代 | 1830年:十合(そごう)伊兵衛が大阪で「大和屋」開業(そごうの起源) 1831年:飯田新七が古着木綿商をスタート(高島屋の起源) |
1860年代 | 1869年:横浜で百貨店・松屋の起源となる鶴屋呉服店が開業 |
1870年代 | 十合伊兵衛が開業した「大和屋」は店の移動と共に"十合呉服店"に改称 |
1880年代 | 1886年:小菅丹治が東京・神田で「伊勢屋丹治呉服店」を開業(伊勢丹の起源) |
1890年代 | 1890年:前年に松屋呉服店を買収した鶴屋呉服店が「今川橋松屋呉服店」を開業して東京に進出 1893年:高島屋飯田新七東店(貿易店)が開業 |
1900年代 | 1906年:上田安子服飾専門学校創設者で、日本の服飾史に大きな影響を与えた上田安子が誕生 |
1910年代 | 1910年:松坂屋運営企業が名古屋栄地区に初の百貨店形式の新築大型店を開業 1911年:アイビー系ブランド「VAN」の創業者である石津謙介が誕生 1913年:小篠綾子(NHK「カーネーション」のモデル)が誕生 1914年:三越呉服店が5階建てでエスカレーター付きの巨大な本店をオープン 1916年:日本に立体裁断技術を広めた小池千枝が長野にて誕生 1919年:文化服装学院の前身である「並木婦人子供服裁縫店」が開業&店内に裁縫スクールスペースができた 1919年:十合呉服店が株式会社となり、百貨店事業に進出 |
1920年代 | 1920年:近鉄百貨店の起源となる「京都物産館」が開業 1922年:並木婦人子供服裁縫店の教授所が発展して「文化裁縫学院」になる 1922年:高島屋が大阪に巨大な新築店舗をオープン 1923年:文化裁縫学院が文化裁縫女学院へと校名変更 1924年:伊勢屋丹治呉服店は前年の大震災を経て百貨店形式へと事業をリニューアル 1926年:杉野芳子が東京都心でドレスメーカー女学院を開校 1928年:(株)三越呉服店が(株)三越へと商号変更 |
1930年代 | のちに高田賢三・コシノヒロコなどに大きな影響を与える中原淳一が挿絵画家として活躍しはじめた年代 1930年:伊勢屋丹治呉服店から発展して株式会社伊勢丹が発足 1933年:伊勢丹新宿本店が開業 1934年:コシノ3姉妹の母である小篠綾子が岸和田で「コシノ洋装店」を開業。 1935年:ドレスメーカー女学院が日比谷で、"日本初の出来事"とされる大きなファッションショーを開催 1936年:文化裁縫女学院が文化服装学院へと校名変更 1937年:田中千代が「田中千代洋裁研究所」を創設(「渋谷ファッション&アート専門学校」の前身) |
1940年代 | 1940年:西武池袋本店の前身である武蔵野デパートが開業 1941年:上田安子服飾専門学校の前身である「上田安子服飾研究所」が創設される 1943年:日本繊維新聞(2010年に休刊して消滅)が創刊 1946年:中原淳一が雑誌「それいゆ」を創刊 1947年:中原淳一が雑誌「ひまわり」を創刊 1947年:織田ファッション専門学校を経営する学校法人織田学園の発祥となる「文化洋裁教室」が創設される 1948年:繊研新聞社の前身である日本繊維経済研究所が設立 1948年:石津謙介が「VAN」というブランドを立ち上げる 1949年:株式会社武蔵野デパートが株式会社西武百貨店へと社名を変更 |
1950年代(国内)
1950年 | 繊研新聞社の前身組織が「繊研・相場速報」というメディアを創刊 |
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1951年 | 結婚後に主婦として生活していた森英恵が新宿に「ひよしや」をオープン。以後、日本映画の衣装制服で大活躍し出す。 文化服装学院の講師・小池千枝がデザイン科を立ち上げる(この科にその後、有望な新人達が続々加入) |
1952年 | 「KIMIJIMA」ブランドをのちに世界的なブランドに育て上げていく君島一郎氏と由希子氏が出会う |
1953年 | 上田安子が渡仏し、3月から9月までクリスチャン・ディオール社のアトリエにて技術研究を行い、たくさんの高等技術を現地から持ち帰る 文化服装学院がクリスチャン・ディオール氏を招き、学院などで来日ショーが開催される パルコの起源である池袋ステーションビル株式会社が設立される |
1954年 | 森英恵が銀座に「ハナエモリ」ブティックをオープン 長沢節が「セツ・モードセミナー」の前身であるスタイル画教室をスタート 桑沢陽子が「桑沢デザイン研究所」を設立 |
1955年 | 前年に渡仏した文化服装学院の小池千枝は現地で立体裁断の技術を学んだのち帰国(この立体裁断技術が日本の服飾デザイン文化を大きく発展させる) |
1956年 | 日本ファッションエディターズクラブ賞(FEC賞)がスタート 文化服装学院が「装苑賞」を創設 前身組織から発展して「繊研新聞社」という会社が設立 |
1957年 | 小池千枝講師の提言を受けて文化服装学院が初めて男子を受け入れる。 |
1958年 | 文化服装学院に、その後「花の9期生」と称される事になる高田賢三・コシノジュンコ・松田光弘・金子功・黒田明子などが入学。 当時のパリ最高峰のデザイナーの一人であるピエール・カルダンが来日し、1か月という長期に渡り、東京で立体裁断の講習会を開催した。この講習会には森英恵や高田賢三も参加した。 |
1959年 | 繊研新聞社が前身媒体名をリニューアルして「繊研新聞」の発行を開始 |
日本の繊維会社の歴史ダイジェスト
各社公式サイトの「会社沿革」や社史PDFファイル参考。
時代の流れの中で1950年前後に各社は事業領域を一気に広げ、
それぞれが違う方向に発展。
そして、純粋な「繊維/紡績会社」はどんどん減少していった。
1870年代 | 1872年:のちに片倉工業の富岡工場として稼働する事になる「官営富岡製糸場」が完成して稼働し始める 1873年:片倉市助が長野で製糸事業をスタート(これが片倉工業の起源) |
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1880年代 | 1882年:東洋紡の源流である大阪紡(大阪紡績)が設立される 1883年:大阪で住江織物の源流となる事業がスタート 1886年:東洋紡のもう一つの源流である三重紡(三重紡績)設立 1887年:鐘紡の起源となる組織が創業 1888年:クラボウ(倉敷紡績)の源流である、「有限責任倉敷紡績所」が創設される 1889年:ユニチカの源流である尼崎紡績が創業 1889年:セーレンが創業 |
1890年代 | 1893年:鐘紡の起源となる組織(社名不明)は、社名を鐘淵紡績株式会社へと改称 1893年:有限責任倉敷紡績所が倉敷紡績株式会社へと改称される 1895年:倉敷紡績が綿糸の輸出をスタート 1895年:片倉兼太郎が製糸業の片倉組を設立 1896年:京都にて郡是製絲株式会社が創業(GUNZEの起源) 1896年:日本毛織株式会社(ニッケ)が設立される |
1910年代 | 1913年:住江織物合資会社が設立される(1930年に住江織物株式会社に改称) 1914年:渋沢栄一の主導により、大阪紡と三重紡が合併して新会社「東洋紡(正式名=東洋紡績)」が発足(東洋紡という社名は、渋沢栄一が考案したもの) 1918年:尼崎紡績(ユニチカの前身)が摂津紡績を合併して大日本紡績(株)へと改称 1918年:帝人(TEIJIN)の前身である帝国人造絹絲株式会社が設立 |
1920年代 | 1920年:片倉組から発展し、片倉製糸紡績株式会社が発足 1922年:旭化成の源流である旭絹織株式会社が設立される 1925年:倉敷紡績が合成繊維事業に進出 1925年:ユニチカのもう一つの源流、「日本レイヨン(通称ニチレ)」が設立 1926年:東レの前身である「東洋レーヨン株式会社」が設立される 1926年:クラレの前身である「倉敷絹織(株)」が岡山県倉敷市で設立される 1927年:東洋レーヨンと東洋紡がレーヨン事業をスタート |
1930年代 | 1931年:延岡アンモニア絹絲株式会社(旭化成の源流)が設立 1933年:延岡アンモニア絹絲が、日本ベンベルグ絹絲(株)と旭絹織(株)を合併しすると共に「旭ベンベルグ絹絲株式会社」へと社名を変更 1936年:鐘淵紡績(現カネボウ化粧品)が化粧品事業に進出 1938年:旧官営富岡製糸場が「株式会社富岡製糸場」として独立 1939年:片倉製糸紡績(株)が株式会社富岡製糸場を合併。これにより富岡製糸場は「片倉工業の富岡工場」になる |
1940年代 | ■レーヨン事業発祥の東レはこのあたりから合成繊維事業に進出 1943年:片倉製糸紡績は現社名の「片倉工業株式会社」へと改称 1943年:旭ベンベルグ絹絲(株)は日本窒素火薬株式会社を合併すると共に社名を「日窒化学工業株式会社」へと社名変更 1946年:何度かの合併により誕生した日窒化学工業(株)が、旭化成工業株式会社へと社名を変更。(この時にようやく旭化成という呼称が登場) 1947年:Vリーグ男子・東レアローズの前身であるバレーボールチームが社内で発足 |
1950年代 | 1955年:尼崎紡績(ユニチカの源流)が合成繊維のナイロン事業に進出 1956年:東洋紡はこの年、合成繊維事業に進出 1957年:帝国人造絹絲(=帝人)と東洋レーヨン(=東レ)は英国企業からポリエステルなどの製造技術導入許可を受ける。そして2社はそのポリエステル繊維ブランドを「テトロン」と名付けた 1959年:旭化成工業が合成繊維事業に進出 |
1960年代 | 1960年:次々に事業を拡大する旭化成工業が「サランラップ」の販売を開始し、樹脂製品事業をスタート 1962年:帝国人造絹絲は帝人株式会社へと社名変更 1962年:倉敷紡績が化成品事業や食品・サービス事業に進出(一気に多角化) 1962年:郡是工業(現GUNZE)がプラスチック事業に進出し、事業化が多角化し出す 1963年:レーヨン事業発祥の東洋レーヨンだったが、この年にレーヨン糸の生産を収束させる(以後、合成繊維事業がさらに本格化) 1963年:大日本紡績(ユニチカの源流)がガラス事業に進出(経営の多角化がスタート) 1964年:大日本紡績が「ニチボー」へと社名を変更。そしてこの年にポリエステル事業にも進出した 1967年:郡是工業株式会社が現社名の「グンゼ株式会社」へと社名を改称 1969年:ニチボーと日本レイヨン(通称ニチレ)が合併してユニチカが発足。社名はUNITEDの「ユ」、2つの「ニチ」、会社の「カ」をつなげたもの 1969年:グンゼが婦人服事業に進出 |
1970年 | 1970年:1月に東洋レーヨン(株)が「東レ(株)」へと社名変更 1970年:東レが人工皮革「エクセーヌ」の販売を7月にスタート 1971年:鐘淵紡績が「鐘紡」へと社名を改称 1971年:帝人がレーヨン事業を徴収する。一方でメタ系アラミド繊維事業に進出し、この年から事業の多様化が加速 1972年:事業領域拡大中の旭化成は住宅事業にも進出し、「へーベルハウス」の展開をスタート 1973年:ユニチカが「ユニチカ・マスコットガール」を創設。(のちに多数のスターを輩出し、会社の知名度UPに大きく貢献) 1976年:旭化成は医療機器事業にも進出。(繊維/紡績会社としての面影がどんどん薄れていく) 1978年:帝人が紡績事業を撤収 |
1980年代 | 1986年:どんどん事業領域を広げる東レはこの年、浄水器「トレビーノ」の展開を開始 1987年:片倉工業の富岡工場(旧官営富岡製糸場)が操業を休止 1987年:グンゼが蚕糸(シルク)事業から完全に撤退 1988年:倉敷紡績が社名(通称)を"クラボウ"に変更 1989年:セーレンが画期的な「Viscotecs」の技術を確立 |
2000年代 | 2000年:かつての名門・ユニチカ女子バレー部が活動を停止し、東レに譲渡されて「東レ・アローズ(女子)」として再スタート 2001年:旭化成工業(株)は旭化成(株)へと社名変更 2001年:鐘紡(株)がカネボウ(株)へと社名を変更 2002年:事業領域を拡大し続けてきた東洋紡はこの年、非繊維事業の売上が繊維事業の売上を上回った 2003年:ユニクロと東レのタッグによって「ヒートテック」が誕生 2004年:片倉工業がかつての工場跡地であるさいたま新都心駅東口に「コクーン新都心」を開設。(cocoonとは絹の"繭"という意味) 2004年:カネボウから化粧品部門が独立し、株式会社カネボウ化粧品が設立される 2005年:セーレンがカネボウの繊維事業を譲り受け、「KBセーレン株式会社」が設立される 2006年:東レがユニクロを展開するファーストリテイリングとの「戦略的パートナーシップ」を開始 |
2010年代 | 2012年:東洋紡という通称の東洋紡績株式会社が、東洋紡株式会社へと社名変更 2014年:1939年から1987年まで片倉工業の富岡工場として存在してきた旧官営富岡製糸場が世界遺産に登録 |
国内アパレルメーカーの歴史ダイジェスト
18世紀 | 1751年:現在の愛知にて、初代の兵右衛門が京呉服商「絹屋」が創業(これがタキヒヨー株式会社の源流)。その後、(株)瀧兵商店時代を経て、1967年に現社名となる |
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19世紀 | 1864年:スタレイム(旧瀧定大阪/瀧定名古屋)の源流となる事業が創業される。その後、瀧定大阪・瀧定名古屋と分社されたが、2015年にスタレイムグループが発足して2社は傘下に収まった 1879年:栗原イネが、株式会社ダイドーリミテッドの源流となる製織事業を開始(その後、大同毛織株式会社時代を経て、1989年に株式会社ダイドーリミテッドへと改称) 1882年:福助の起源となる足袋店「福丸」が大阪で創業(1900年に「福助」へと変更) |
1900年代 | 1902年:佐々木八十八がレナウンの源流となる「佐々木営業部」を創設。この佐々木八十八はファミリア創業者でNHK朝ドラのモデルになった坂野惇子の父親 1904年:広島でナルミヤインターナショナルの源流である呉服専門問屋が創業。その後、1979年に(株)ナルミヤとなり、1980年代に子供服へ進出して1995年に(株)ナルミヤインターナショナルへと商号変更 1906年:水野利八と利三が大阪で「水野兄弟商会」を開業。これがミズノ(MIZUNO)の起源 |
1920年代 | 1920年:株式会社ナイガイの源流である内外編物株式会社が設立(その後、1985年に現社名となる) 1925年:木村担がベビー衣料販売をスタート(株式会社キムラタンの起源) 1927年:樫山純三がオンワード樫山の前身である樫山商店を開業 |
1930年代 | 1935年:デサントの前身である「ツルヤ」が創業(その後、1961年に株式会社デサントへと発展) 1937年:ヤマトインターナショナル株式会社の源流となるシャツ製造業がスタート(法人化は1947年) |
1940年代 | 1942年:三陽商会が創業 1946年:ワコールHDの源流である和光商事が創業(1957年にワコール株式会社となった) 1946年:米山稔が新潟の長岡で木造品の製造販売を開始(これがヨネックスの起源) 1946年:大阪で宮本雅史がシャツの製造販売を開始(山喜株式会社の源流) 1947年:インナーウェア大手・アツギの前身である厚木編織株式会社が設立 1947年:岐阜で婦人服メーカーのヒロタ株式会社が設立 1947年:高久泰憲が新宿で紳士衣料品店を個人で開業(タカキューの発祥) 1947年:樫山商店は法人化し、大阪で「樫山商事株式会社」が設立される 1948年:ファミリアの起源となる「ベビーショップ・モトヤ」がオープン。その後、1950年に株式会社ファミリアへと発展する 1948年:樫山商事が樫山株式会社へと再度社名を変更 1948年:三喜商事の源流となる堀田商店が神戸で創業される(1956年に三喜商事へと改称) 1948年:カイタックの前身である岡山絹人絹織物株式会社が創業(1984年にカイタックという社名になる) 1949年:アシックスの前身である鬼塚商会が発足(1977年に株式会社アシックスとなる) 1949年:のちに経営統合する事になるサンエーインターナショナルが大阪で東京スタイルが東京で、この年に創業される 1949年:ファーストリテイリングの源流である小郡商事が営業を開始 |
1950年代 | 1950年:イトキン創業 1950年:株式会社ラピーヌの前身である株式会社大東が大阪で設立(その後、1967年に現在の社名となる) 1951年:富山県でゴールドウインの前身であるメリヤス製造所が設立される(その後、1963年に株式会社ゴールドウインとなった) 1951年:石津謙介がVAN(有限会社ヴァンヂャケット)を設立 1951年:クロスプラスの起源である櫻屋商店が名古屋で設立される(2年後櫻屋商事となる) 1953年:埼玉県小川町で「しまむら」の前身である島村呉服店が開業 1953年:(株)アダストリアの前身である(株)福田屋洋服店が水戸で設立される 1954年:東京ソワールの源流である「ソワール洋装店」が東京の世田谷にオープンする(1969年に東京ソワールになった) 1955年:株式会社佐々木営業部がレナウン商事株式会社となる 1957年:島村呉服店が総合衣料系の事業をスタート(しまむら事業の起源) 1958年:株式会社ジュンが設立 1959年:神戸で株式会社ワールドが設立される |
1960年代 | 1960年:岡山でジーンズメイトの前身である(株)西脇被服本店が設立される。その後、1987年に(株)ジーンズメイトになった 1962年:株式会社ルックの前身である株式会社レナウンルック(婦人服製造)設立 1964年:VANの服に身を包んだアイビールックの通称「みゆき族」が銀座に大量出没 1964年:トリンプ・インターナショナルの前身企業が設立(母国フランスでの創業年度は1886年) 1967年:パリから帰国後の松田光弘がニコルが創業(1971年に株式会社へと移行) 1967年:レナウン商事株式会社が株式会社レナウンへと社名を変更 1968年:靴下事業の株式会社タビオが創業(会社設立は1977年) |
1970年代 | 1970年:菊池武夫などにより「ビギ・グループ」が設立される 1970年:三陽商会がバーバリーの販売を開始 1970年:レナウンがダーバンの前身である(株)レナウンニシキという紳士服企業を創設 1971年:ミキハウスの源流である三起産業が創業(ベビー・子供の製造・卸売) 1971年:Levi'sの日本支社が発足(1982年にリーバイ・ストラウス・ジャパン株式会社に発展) 1971年:ジョイックスコーポレーション株式会社の前身であるアメリカン・ジャケット株式会社設立(1992年に現社名となった) 1972年:(株)レナウンニシキが(株)レナウンに社名変更 1972年;(株)島村呉服店は、(株)しまむらへと商号変更 1973年:大阪にてパルグループの源流となるカジュアル事業がスタート 1973年:(株)チュチュアンナの前身である有文商店が大阪で創業(6年後に現社名となった) 1976年:株式会社ファイブフォックス設立 1978年:VAN(ヴァンヂャケット社)が倒産 1978年:子供服の株式会社リトルアンデルセンが設立 1978年:ハニーズの前身である有限会社エジリが福島県で設立される |
1980年代 | 1980年:株式会社フランドルが設立される 1980年:サンラリー株式会社が設立 1980年:株式会社ジャヴァ(Java)コーポレーションが設立される 1980年:4月に株式会社ライトオンが創業 1980年:西友のPBとして「無印良品」が誕生し、翌年から衣料品の販売を開始 1982年:株式会社ナイスクラップ設立 1982年:神戸で株式会社イングが設立(INGNI運営元) 1984年:小郡商事が父から息子の柳井正へと社長交替。同時期にユニクロ事業がスタートした 1984年:菊池武夫のビギグループからワールドへの移籍劇が起こる。移籍後、間口健雄はワールドから「TAKEO KIKUCHI」を立ち上げた 1986年:有限会社エジリは株式会社ハニーズへと商号を変更した 1988年:樫山株式会社が「株式会社オンワード樫山」へと社名を変更 1989年:西友の無印良品事業部が独立し、株式会社良品計画が設立される |
1990年代 | 1990年:靴小売り大手の(株)チヨダの出資にて(株)マックハウスが設立される 1991年:小郡商事がファーストリテイリングへと商号変更 1991年:石川康晴が岡山でレディースセレクトショップ「CROSS」を開業(ストライプインターナショナルの発祥) 1992年:ANAPを展開する(株)エイ・エヌアートプランニングが設立(2007年に株式会社ANAPへと改称) 1993年:ワールド社がOZOCからSPA事業に進出 1993年:(株)福田屋洋服店が(株)ポイントへと商号変更 1993年:メーカーズシャツ鎌倉が創業(創業者は元VAN主要スタッフ) 1994年:ファーストリテイリングが株式公開(広島証券取引所) 1994年:サマンサタバサジャパンリミテッドが設立される 1995年:ストライプ社の前身企業であるクロスカンパニーが設立される 1998年:子供服のF.O.インターナショナルが有限会社として創業(2003年に株式会社化) 1998年:ファーストリテイリング(ユニクロ)が秋に東京・原宿へ進出し、業界の勢力が大きく変わり始める |
2000年代 | 2000年:バロックジャパンの前身である(株)フェイクデリックが設立される 2001年:櫻屋商事が「クロスプラス」へと商号を変更 2002年:村上ファンドによる東京スタイル株の買い占め騒動が勃発。これにより東京スタイルという企業名が全国広く知れ渡る事となった 2002年:婦人服製造の株式会社レナウンルックが株式会社ルックに社名変更し、レナウンから切り離される(2020年時点ではレナウンとの資本関係はなし) 2003年:東京スタイルが(株)ナノユニバースを子会社化 2004年:(株)レナウンと(株)ダーバンが経営統合 2005年:ワールド社のMBOによる上場廃止劇が起こり、大きな話題となる 2007年:オンワード樫山は持ち株会社制度へと移行して「オンワード・ホールディンクス」という持ち株会社ができる 2007年;フェイクデリックなど3社の合併により、(株)バロックジャパンリミテッドが設立される 2008年:ワコールがピーチジョンを買収 |
2010年代 | 2011年:東京スタイルとサンエーインターナショナルが経営統合し、(株)TSIホールディングスという持ち株会社が設立される 2013年:(株)ポイントは持ち株会社制度へと移行し、(株)アダストリアHDが設立される 2015年:三陽商会と英国バーバリーとの契約が終了(これによって会社は窮地に) 2015年:アダストリアHDが持ち株会社制度を解消し、科会社名が(株)アダストリアとなる 2016年:クロスカンパニーがストライプインターナショナルへと社名変更 2018年:ワールド社が13年ぶりに株式再上場(株式公開) |
セレクトショップ系企業と、紳士服店企業の事は基本的に省いています。
海外アパレル分野の主な出来事(17世紀から1950年代)
17世紀 | 1663年:ベルギーにおいてアントワープ王立芸術アカデミーが創設される |
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1800年代 | 1801年:エルメス創業者のティエリ・エルメス(Thierry Hermes)が誕生 |
1810年代 | 1818年:アメリカ最古とされるブランド「ブルックスブラザーズ」が創業 |
1820年代 | 1821年:Louis Vuitton創業者のルイ・ヴィトンが誕生 1829年:ドイツでリーバイ・ストラウス誕生 |
1830年代 | 1830年:「ウールリッチ」というアウトドアブランドの起源となる毛織工場がアメリカ・ペンシルヴァニア州に建設される 1837年:ティエリー・エルメスという人物が馬具系工房「HERMES」を創設 1837年:ルイ・ヴィトンが16歳でトランク職人としてのキャリアをスタートさせる |
1840年代 | アレクシス・ラヴィーニュ(元ナポレオン3世の服飾師)が世界的な服飾学校「エスモード(ESMOD)」の起源となる専門教育機関を立ち上げる |
1850年代 | 1853年:ドイツ人のリーバイ・ストラウスがゴールドラッシュ期の米国西海岸に移住し、労働者に対してワークパンツを提供し始める(ジーンズの発祥) 1854年:鞄/トランク商品系の「Louis Vuitton」が創業 1856年:若干21歳のトーマス・バーバリーが英国で「バーバリー」を創業 1856年:英国で「Central Saint Martins」が設立される |
1860年代 | 1867年:世界最古とされるファッション誌「Harper's Bazzar」がアメリカのNYで創刊。ハーパーズとは発行人の苗字 |
1870年代 | 1876年:「バイアスカット」で有名なマドレーヌ・ヴィオネが誕生 1879年:ポール・ポアレがフランスで誕生 トーマス・バーバリーが「ギャバジン」という生地を考案(1888年に特許取得) |
1880年代 | 1881年:カルバンクラインやトミーヒルフィガーを擁する「PVH」の源流となる事業がこの年に発祥 1883年:ガブリエル・ココ・シャネルがフランスで誕生 1886年:ルイヴィトンの息子であるジョルジュ・ヴィトンが、旅行用トランクがそのまま金庫になる錠前システムを開発 1889年:ジャンヌ・ランバンという女性がパリで帽子店を開業(LANVINの発祥) |
1890年代 | 1890年:リーバイスの「501」がこの年に誕生 1892年:アメリカで雑誌「VOGUE」が創刊 1896年:アメリカのNYで世界的美術/服飾系学校「Parsons」が設立される |
1910年代 | 1910年:アメリカでファッション業界新聞「WWD(Wowens Wear Daily)」が創刊 1910年:ココ・シャネルが事業をスタート(帽子店から) 1914年頃:第一次世界大戦中にバーバリーが軍用品として「トレンチコート」を開発 1918年:アメリカの「ブルックスブラザーズ」が創業100周年を迎える |
1920年代 | [10年を通じて] CHANELというブランドとココ自体が女性達の間で大ブームとなる 1923年:マンハッタンで「バーニーズNY」1号店がオーブン 1927年:1910年代に渡米してアメリカで成功したS・フェラガモがイタリアに帰国し、自身の名を冠した靴ブランドを創設 |
1930年代 | 1933年:カール・ラガーフェルドがドイツのハンブルクにて誕生 1939年:第二次大戦が勃発し、ココ・シャネルは大半の店を閉鎖して第一線から退く |
1940年代 | 1945年:フランスで高級ファッション誌「ELLE」が創刊 1945年:ピエール・バルマンが自身のメゾンを開設 1945年:マダム・カルヴェンが「Carven」を創設 1947年:クリスチャン・ディオール氏がパリモード界にデビュー。時代に逆行した作品に対して、女性をコルセットから解放してきたココ・シャネル達からの怒りを買う。 1949年:靴ブランドとして存在してきたS・フェラガモがバッグを作り始める |
1950年代 | 1950年:ピエール・カルダンがChristian Diorから独立して自身のメゾンを創設 1951年:S・フェラガモがイタリア国内で初のファッションショーを開催 1952年:雑誌・ELLE専属モデルとしてデビューしたブリジット・バルドーが女優転向 1953年:映画「ローマの休日」を通じてオードリー・ヘップバーンがブレイク 1953年:ピエール・カルダンがファーストコレクション(オートクチュール)を発表 1953年:国際羊毛事務局が「インターナショナル・ウールマーク・プライズ」という新人デザイナー向けの賞を創設。第一回目の受賞者はヴァレンティノ・ガラヴァ―二。その他、当時16歳のイヴ・サンローランがドレス部門にて上位に入る 1954年:映画「麗しのサブリナ」を通じてオードリーの人気は不動のものになったほか、衣装制作者のユペール・ド・ジバンシィにも脚光が当たった 1954年:S・フェラガモがオードリー・ヘップバーンのためにストラップ付のバレリーナシューズを製作 1954年:ココ・シャネルが15年ぶりに活動を再開 1954年:2回目を迎えた「インターナショナル・ウールマーク・プライズ」において、ドレス部門1位にサンローラン(当時10代後半)、コート部門1位にカール・ラガーフェルド(当時20代前半)が選出される。サンローランは、この賞の受賞を通じて審査員だったディオール氏のメゾン入りする事となった 1955年:マリー・クワントがロンドンで「BAZZAR」というブティックを開業。ミニスカートの流行を作る 1956年:モナコ王妃になったグレース・ケリー(女優出身)に関連するエルメスのバッグ「ケリー(Kelly)」が誕生 1957年:クリスチャン・ディオール氏が急逝し、当時21歳だった彼の部下・イヴサンローランがDiorの2代目デザイナーに就任 1957年:マリー・クワントが「BAZZAR」2号店をオープン 1957年:復帰したココ・シャネルがアメリカにて栄誉ある「ニーマン・マーカス賞」を受賞 1959年:オートクチュール系デザイナーのピエール・カルダンがプレタポルテに進出 |
海外宝飾/腕時計分野の主な出来事(17世紀から現在)
1969年にクオーツ式時計が発表され、大きな転換期を迎えた
17世紀 | 1613年:メレリオ(Mellerio)が創業・・・・・ジュエリー系世界最古とされる |
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18世紀 | 17世紀から「懐中時計」が流通 1735年:BLANPAINが創立・・・・・・世界最古の時計ブランドとされる(現存ブランド内で) 1755年:当時24歳のジャン=マルク・ヴァシュロンが「ヴィシュロン・コンスタンタン」を創立 1777年:アブラアン-ルイ・ブレゲがパリで時計工房を設立(ブレゲの誕生) 1780年:ショーメが創立 1791年:ジラール・ペルゴが創立 |
1820年代 | 1827年:モーブッサンが創立 |
1830年代 | 1833年:アントワーヌ・ルクルトが「ジャガー・ルクルト」を立ち上げる 1837年:ティファニー(アメリカ)が創業。1号店がNYにオープン 1839年:パテック・フィリップの源流となる事業がスタート |
1840年代 | 1846年:ユリス・ナルダンが設立 1847年:カルティエ(フランス)がパリで創業 1848年:スイスでOMEGAが創立 |
1850年代 | 1858年:ブシュロンが創立(パリに初のブティックがオープン) |
1860年代 | 1860年:タグホイヤー双立 1860年:ルイ・ユリス・ショパールがスイスで時計工房を設立(Chopardの誕生) 1865年:ZENITH創業 1868年:アメリカ出身の時計師・ジョーンズがスイスで「IWC」を設立 |
1870年代 | 1874年:PIAGET創立 1875年:オーデマピゲが創立 |
1880年代 | 1881年:日本にて服部金太郎という人物がSEIKOの源流となる事業をスタート 1884年:ソティリオ・ブルガリが「BVLGARI」(イタリア)を創業 1884年:レオン・ブライトリングにより「Breitling」が創設される |
1890年代 | 1892年:のちにSEIKOブランドで有名になる「精工舎」が設立される 1893年:ブシュロン設立 1895年:スワロフスキー社が設立される |
1900年代 | 1905年:スイスでROLEXが創立 1906年:ヴァンクリーフ&アーベルが創業 |
1910年代 | 第一次世界大戦を機に、海中時計より使い勝手が良い「腕時計」が軍人たちの間で普及し始める |
1920年代 | 1924年:精工舎が「SEIKO」というブランド名での初の商品が発売される |
1930年代 | この年代から手巻き式より使い勝手が良い「自動巻きタイプ」の機械式腕時計が普及。腕時計の人気が懐中時計を上回るようになる 1932年:アメリカのNYにてハリー・ウィンストンが創業 |
1940年代 | 1946年:樫尾忠雄がCASIOの源流である「樫尾製作所」を東京の三鷹市で創業 |
1950年代 | 1957年:樫尾製作所から発展し、カシオ計算機株式会社が設立 |
1960年代 | 1961年:ティファニーのNYの店を舞台としたA.ヘップバーン主演映画「ティファニーで朝食を」が公開 1969年:日本のSEIKOが世界初のクオーツ式腕時計「クオーツアストロン」を発売(機械式時計と比べて圧倒的に時刻がずれにくい画期的な商品) |
1970年代 | 機械式時計に替わり、クオーツ式時計がどんどん普及 |
1980年代 | 1983年:Swatchが創業 1983年:CASIOが「G-SHOCK」を発表 |
1990年代 | 1994年:G-SHOCK(CASIO)のレディース版「Baby^G」デビュー 1990年代半ばから後半:ストリートファッションブームと共に日本でG-Shock(CASIO)ブームが起きる |
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