1984年(昭和59年)の流行/服飾史
文化/出来事
- 主な流行色=モノトーン系
- DCブランドブームの最盛期と称される年の一つ
- 国内外で黒服系のヨウジヤマモト、コムデギャルソンの人気が加速
- ビギグループの創設者の一人である菊池武夫が同社から離脱し、ワールド社に移籍。そして「TAKEO KIKUCHI」という新ブランドを立ち上げた
- 装苑賞は、この年をもって年2回制度を廃止。1985年からは年1回の開催へと変更
- FENDI・Chloe・CHANELのデザイナーとして活躍するドイツ人のカール・ラガーフェルドはこの年、自身の名を冠したシグネチャーブランド「KARL LAGERFELD」を創設。パリでは3つのブランドを同時に手掛ける状態となる
- 柳井正氏率いる山口県の紳士服系企業・小郡商事(現ファーストリテイリング)が倉庫型カジュアルストアの「ユニクロ」1号店を広島に出店。
- 1980年代後半に原宿で大ブームとなる「セーラーズ(SAILORS)」というキャラクターブランドの直営店が、この年にオープン。早速若者の間で流行り出した
- 1841年・フランス発祥の世界的服飾専門学校・エスモードが、海外初進出となる日本校「エスモード・ジャポン(ESMOD JAPON)」東京校を開設
- この年に日本ジーンズ協議会主催の「ベストジーニスト賞」がスタート
- 世界中で最も効果急なバッグとも言われるエルメスの「バーキン(Birkin)」がこの年に誕生。当時のエルメス社長がジェーン・バーキン本人から様々な要望を受けて作ったのがはじまり。
- オンワード樫山が新人デザイナー向け賞「オンワード新人デザイナーファッション大賞(現Tokyo 新人デザイナーファッション大賞)」をスタート
- 山本耀司がパリコレにおいて、レディース部門だけでなくメンズ部門にも進出
1984年度の主な賞受賞者
第2回 毎日ファッション大賞 | 大賞=三宅一生(ISSEY MIYAKE)・・・・・高田賢三と共に1970年代前半から世界最高ランクのプレタデザイナーとして活躍してきた巨匠 新人賞=森孝行 企画賞=旭化成工業株式会社 企画賞=毛利臣男 特別賞=山口小夜子(モデル)・・・・KENZOやISSEY MIYAKEのミューズ、そして世界的パリ系ブランドのランウェイモデルとして1970年代前半から活躍してきた功労者が特別賞を受賞 |
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装苑賞 | 第55回 田原英明 第56回 岩男雅久 |
第1回 オンワード新人デザイナーファッション大賞 | 西鷹秀明 |
第13回 ベストドレッサー賞 | 堤清二(政治・経済部門) はらたいら(学術・文化部門) 日野皓正(スポーツ・芸能部門) 楠田枝里子(特別賞) など |
第1回 ベストジーニスト賞 | 一般選出部門=郷ひろみ・浅野ゆう子 協議会選出部門=田英夫・糸井重里 |
1984年当時の主な世界的ブランド
パリコレ系 | シャネル クリスチャン・ディオール VALENTINO カール・ラガーフェルド クロエ ジャンポール・ゴルチエ ティエリー・ミュグレー イヴサンローラン クロード・モンタナ KENZO ISSEY MIYAKE Comme des Garcons Yohji Yamamoto・・・・・・パリメンズコレクション参加開始 カンサイヤマモト ソニアリキエル アズディン・アライア カステルバジャック ドロテ・ビス シャンタル・トーマス [その他の日本系パリコレブランド] ハナエモリ、ユキトリイ、ジュンココシノ、ジュンコシマダ、ヒロココシノなど |
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[FASHION CHANNEL公式ch内]
KENZO1984-1985AWパリコレ映像
[FASHION CHANNEL公式ch内]
コムデギャルソン1984-1985AWパリコレ映像
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ティエリーミュグレー1984SSパリコレ映像
(山口小夜子が2分15秒頃から登場)
1984年当時に活躍した主なモデル
海外コレクションで活躍した日本人 | 山口小夜子 富樫トコ 秀香 林マヤ 山根龍志・・・・・この年から海外に挑戦し始める。国際的日本人メンズモデルの祖来がけ的な存在 |
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海外スーパーモデル | イネス・・・・・前年度にシャネルのミューズに就任し、カール氏と共にCHANELブランドの復興に大きく貢献 |
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