1964年(昭和39年)の流行/服飾史
第1回東京オリンピックが秋に開催された年
文化/出来事
- VANというブランドの服に身を包んだ「アイビールック」が流行
- 銀座のみゆき通りに多数出没したアイビールックの若者たちは「みゆき族」と称された。
- 「みゆき族」ブームは夏頃に頂点を迎えたが、10月開催の五輪を前に警察の取り締まりが行われてブームは終焉
- 芦田淳が年2回のコレクション発表をスタート
- 芦田淳が東京オリンピックにおいて通訳のユニフォームをデザイン
- パリのレディースブランドが、ドイツ出身のカール・ラガーフェルドを新デザイナーに抜擢。ここからクロエとカール氏との30年以上にわたる関係がスタート(1980年代後半は数年間離脱していた時期もあり)。
- 桂由美が、まだ日本では未開拓であったブライダルファッションデザイナーとしてのキャリアをスタート。
- 高田賢三は文化服装学院の同窓生である松田光弘と共に、半年の予定で船を利用して渡仏。約1か月に及んだ長い船旅の途中で賢三たちは様々な民族衣装を生で目撃し、それが賢三が得意とする"フォークロア"という系統の作風の原点となる
賞受賞者
- 第15回装苑賞 末田冨美子
- 第16回装苑賞 中村常子
1964年に活躍した国際的モデル
- 松田和子
- 松本弘子・・・・・ピエール・カルダン専属モデル
- 高島三枝子・・・・・イヴサンローラン専属モデル
[サイト全体メニュー]
[令和メニュー]
[平成メニュー]
[昭和メニュー]
[簡易情報(60's)]