日本初のベストセラーは江戸時代の養蚕書?

 
 
複製技術の問題などにより、
欧州圏と比べて日本の書物のベストセラーの歴史は浅く、
明治時代の目前の幕末期(1866年)に、あの福沢諭吉が出版した
「西洋事情」という本あたりが日本初のベストセラーにあたるのではないか、と一般的には言われている。
 
しかしそれより50年以上前に、
日本の養蚕業(シルク産業)の発展に大きく貢献したほか
翻訳されて世界的なヒットを記録した
ベストセラー養蚕技術書(テキストブック)が存在したという話。
 
 


 
江戸時代初期の日本において、
生糸(カイコの繭から作った糸)はほとんどが輸入ものであった。
 
具体的には隣国の中国や、鎖国中でも付き合いがあったオランダなどから輸入されてくる高級品だったため、
対価として日本からはどんどん金・銀が失われていく状況に陥った中、
日本は輸入制限をして生糸の国産を目指す道を選ぶ。
 
 
そんな時代の中で江戸時代中期にあたる1753年に
兵庫の養父郡で誕生した上垣守国という農家に生まれた男は
10代後半だつた1770年頃から地元の養蚕業を発展させるために尽力し始め、
故郷を離れて全国各地の養蚕業が盛んな地域を訪問し、
その地の人々から様々な情報・技術を仕入れるようになった。
 
そうして得た知識・技術をもとに地元の養蚕業を大きく発展させ、
1800年代初頭に、文字を読めない貧困層の人達の事も考慮し、
今でいうとの漫画的な側面もある図入りの養蚕技術書
「養蚕秘録(全3巻)」を完成させた。

 
この価値ある書物を地元但馬(兵庫)だけで流通させれば、
他の地域徳瀬部て地元の経済だけを大きく発展させられたが、
優れた人格者の上垣守国は地元の貧しい農民だけでなく
全国各地の貧しい農民を養蚕業を通じて救うため、
全国各地で流通させる事を決意
 
「養蚕秘録」は日本各地で流通すると
その読みやすさ・実用性の高さ・娯楽性の高さを武器に全国の農民達の間で広く広まり、同時期に発行された別の養蚕書と共に大ヒット。
(別の養蚕書=成田重兵衛が1812年に発表した「蚕飼絹篩」など)
 
日本初のベストセラー書物と言える存在となった。
 
 


 
 
さにに「養蚕秘録」は江戸時代後期に医者として来日したドイツのシーボルトからも高く評価され、
彼がヨーロッパに帰還してから欧州各国で翻訳・出版され、世界中に広まって世界全体の養蚕業発展にも貢献。
 
 
具体的な世界全体ての発行部数は不明ながら、
こういった江戸時代の世界的ベストセラー養蚕書が存在した事は、
アパレル業界の若い人々の間であまり知られていない。
 
 
 
 
 

 

 
メニュー1 TOPページはこちら
(インパクト強い情報ばかり)
 

 
 
メニュー2
(トリビアとしては、ややインパクト薄めの情報)

 
商品名の由来/語源系

 
 
 
インパクトが大きい情報を集めた
「メニュー1」は
トリビア情報TOP
にあります。