川久保玲はパリコレ初参加からたった5年で世界一のデザイナーになった
このページで分かる事
- コムデギャルソン川久保玲がパリコレに参加した当時の評価
- いつ頃から評価が上がっていったか
- いつ頃/どれくらいの期間で、世界的なブランドにのぼりつめたのか?
コムデギャルソン創業デザイナーの川久保玲は
- 同世代
- 同じく慶応大学出身
- 同じく強い反骨心をもつ
といった共通項をもつ山本耀司と共にパリコレ進出を計画し出し、
まず1981年に小規模な展示会形式でパリコレに参加。
1982年からはトップモデルを起用した
大規模なランウェイショー形式で山本耀司と共にパリコレ(Paris Fashion Week)に参加するようになった。
しかし当時の常識/トレンドの真逆をいく
- 喪服を連想させる黒服
- 貧乏なホームレスを連想させるボロボロな穴あきルック
こういった作風のコレクションは、
まったく前例がなかった事もあり、山本のコレクションと共に酷評される。
しかしシーズンを重ねるごとに評価は向上していき
1984年/1985年頃になるとパリコレのトップブランドに近い存在となったほか、
日本でもヨウジヤマモトと共に大ブームとなり、彼らの黒服を着る「カラス族」が東京の街に溢れるようになった。
1980年代に入り日本でのカラス族ブームは一段落したが
1980年代後半になるとパリでの専門家の評価はますます向上していき、1987年には有名な専門紙において、全ブランドトップとなる得点を稼ぐまでになる。
某特集番組で明かされた1987年秋のパリコレ参加ブランド評価ランキングの一部を紹介。
- 1 Comme des Garcons 228ポイント
- 2 ALAÏA(Azzedine Alaia) 225ポイント・・・・当時のボディコンブームを牽引
- 3 ジャン=ポール・ゴルチエ 217ポイント
- 4 クロード・モンタナ 188ポイント
- 5 ヨウジヤマモト 188ポイント
- 6 イヴサンローラン
- 7 ティエリー・ミュグレー
- 8 KENZO
- 9 クリスチャン・ラクロワ
- 10 ISSEY MIYAKE
あのシャネルも次点のランキング11位。
そして1980年代に一世を風靡していたモンタナ/ゴルチエ/ミュグレーといった当時のトップブランド、
さらには全盛期のアライアまではねのけ、パリコレ評価1位(世界一に相当)にまでのぼりつめた、しかもわずか5年で、というのは見事としかいいようがない。
その後のコムデギャルソン
2000年前後の時期に入ると
ベルナール・アルノー率いるLVMHグループなどが
派損の規模を遥かに上回る規模・予算でショーを開催するようになり、
相対的に巨大資本をバックにもたないコムデギャルソンをはじめとする独立系デザイナーズブランドの存在感は薄くなっていった。
しかし業界内での影響力は男の衰えもなく、
世界中のデザイナー達が川久保玲の創作/ビジネスセンスを絶賛しており、
世界で最も尊敬される女性デザイナーの1人にまでのぼりつめた。
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