オランピア・ル・タンはもともと東京でDJをしていた
若くしてシャネルやバルマンで働いたのち、
2009年に自身のバッグ系ブランドを立ち上げたオランピア・ル・タンというフランス系の女性デザイナー。
少しずつ商品ジャンルを広げてパリコレにもデビューし、
2010年代半ばにパリコレデザイナーとして活躍したほか、
その印象的な形のクラッチバッグは日本を含めた世界で大きな人気を獲得した。
その後、ブランドから離脱し、
NYを拠点とするマークジェイコブスのデザインチーム入り。
そういった、ハイファッション業界での華麗なるキャリアをもつオランピアながら、
デザイナーとして成功する前は意外な職業にて、しかも欧州から遠く離れた日本で活躍していたという話。
若いころに彼女の友人が
「ル・バロン(Le Baron)」というクラブ/ディスコを立ち上げ、
そのクラブに入り浸る中でDJとして活動しはじめた。
その後、Le Baronの東京店がオープンすると来日し、
この店の専属DJとして活躍し、その頃に東京に半年ほど滞在していた時期がある事が判明している。
DJとしてのキャリアにひと区切りをつけてデザイナー業に専念し、
2010年代からは世界的デザイナーとして活動する事になるが、
デザイナーになってからもショーの音楽プロデュースを担当するなど、
もともとDJであったキャリアをいかしたデザイナー活動をしている。
なお、インタビューでは東京に半年くらい滞在した中で、
日本という国・東京という街が大好きになった事も度々語っている。
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