明治/大正時代の日本経済を渋沢栄一などと共に支えていたのは小さな昆虫!
幕末の時期に徳川15代将軍・徳川慶喜に仕えたのち、
明治時代から大正時代にかけては
のちに日本経済を大きく支えていく事になる
たくさんの会社/組織の設立に関わってきた渋沢栄一は
「近代日本経済の父」と称され、現代の人々にリスペクトされている。
しかし、それと同時には日本国民は
渋沢栄一だけでなく、ある小さな昆虫にもリスペクトの気持ちをもたないといけないという話。
江戸時代初期の時期において
高級和服の原料となる生糸に関しては
輸入頼りの状態であった。
しかし、その状態だと賀国に日本の富がどんどん流出してしまう、
という事である時期に幕府主導で生糸の国産政策を行うようになる。
そんな中でキーパーソンとなる何人かの人物が作り上げた
養蚕技術書(指導テキスト)が全国に流通し、
江戸時代末期の時点では日本を代表する産業に成長していた。
明治時代に入ると15代将軍の側近だった渋沢栄一を
設立の事務主任に据えた上で群馬県南西部に
「官営・富岡製糸場」を設立し、明治時代から大正時代にかけて
日本の製糸業はますます巨大なものとなっていき、日本経済を大きく支えた。
関連自治体の公式的資料によると
日本の製糸業の市場規模は
昭和5年(1930年)の40万トンをピークとして、
- 戦後の洋装化(シルクは和装との関係が深い)
- 後継者不足
などを理由にどんどん衰退し、
2016年時点では繭生産量が130トンまで落ち込み、
絶滅の危機に瀕している。
(若い世代の中には製糸業の存在すら知らない人もいると言われる)
そんな日本経済の救世主である「繭」は
- 誰が?
- 何が?
作っているのかというと、
人工的に人が作っているものではない。
では、産出主となっているものは何なのかというと、
蝶に似た蛾(ガ)という昆虫の一種であるカイコガの小さな幼虫(通称=カイコ/おカイコさん)。
この昆虫の幼虫は、
サナギになる上で自身を覆う/守るものとして「繭(まゆ)」を作るが、
その小さな繭からは全長1000m以上の1本の糸がとれる。
職人によって取り出された糸は幾つかの工程を経て高級な糸に仕上げられ、輸出する事によって日本に大きな利益をもたらしてきたが
そもそもカイコが作る繭は自分が成虫になるために作るものであるのに、
人間が糸を創り出そうとするとなると、
サナギが羽化して繭を突き破って出てきてしまう前に
繭の中のサナギを除去/殺傷しないといけないわけで、
必然的にたくさんの犠牲が発生する。
たくさんの昆虫(ガ)の犠牲の上で製糸業は成り立っているという意味で、
若い人も含めて日本の人々はカイコガという
近代日本経済を支えてきた昆虫に感謝/リスペクトをもたなくてはならない。
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