オードリー・ヘップバーンは第二次世界大戦がなかったらバレリーナとして活躍していた?

 
 
 
ベルギー出身で若い頃はオランダなどで過ごした歴史をもつ
オードリー・ヘップバーンは世界で最も成功した女優、
また世界中の女性達が憧れ続ける女優の代名詞として有名。
 
世界の映画の世界の歴史を語る上では欠かせない存在ながら、
1939年から1945年にかけて繰り広げられた第二次世界大戦がなかったら、
女優ではない仕事で活躍していたかもしれない、という話。
 
 


 
 
1929年にベルギーで誕生したオードリーは、
幼少期からクラシックバレエを習い始めて将来はバレリーナを目指すようになった。
 
しかし、彼女が10歳を迎える1939年に第二次世界大戦が勃発し、
その頃に彼女はベルギーではなくオランダで過ごすようになる。
 
そのオランダにおいて食料が豊富にあれば運命が変わる事はなかったかもしれないが、
現地では深刻な食糧不足問題が発生していて、成長期のオードリーは見事にそのあおりを受けることになる。
 
食料危機を迎える前の彼女の体型は一般的な体型であったが
慢性的な食糧不足により栄養失調の状態が続く中で、やせこけた体型に変貌してしまった。
 
 


 
 
1945年に終戦を迎えてからもバレリーナになる夢を持ち続け、
ロンドンに渡ってバレエ学校に通いはじめる。
 
しかし、成長期に受けたダメージは消える事なく
どんなに食べても元の体型には戻れない/筋肉が付かない状態が続く。
(バレリーナとして活躍するには、痩せすぎていてはダメで、
スポーツに近いためかなりの筋力も必要とするため絶望的な状態)
 
 
逆にその痩せた体型はファッションモデルとして活躍するには適しており、
生活のためにロンドンでモデルとして働きだす。
モデルを経て女優業をはじめてからも
しばらくはバレリーナの夢を持ち続けていた事が判明しているが、
1950年代半ば以降、女優業が忙しくなる中でいつしか
バレリーナになるという道は捨てて、女優業に専念するようになった。
 
 


 
 
1960年代に入っても30代を迎えてからも
「ティファニーで朝食を」などのヒット作に出演して
その地位を確固たるものとするが、一方でオードリーのバレリーナになりたいというもともとの夢・情熱は相当なものだったと言われる。
 
そういった事から考えていくと、第二次世界大戦が勃発する事なく、
オードリーが栄養失調に陥る事なく体が通常通り成長していたら、

  • 夢の実現に向けた抜群の行動力
  • 真摯に努力し続ける姿勢
  • ビジュアルの良さ
  • 人間的な魅力
  • 表現力

などを武器としてプロのバレリーナとして
世界中で活躍していた可能性が高いとも言える。
 
そういった意味で、ダニ五次世界大戦が勃発してしまった事を
恨んでいる世界中のバレエ関係者も少なくはないであろう。
 
 
 
 
 

 

 
メニュー1 TOPページはこちら
(インパクト強い情報ばかり)
 

 
 
メニュー2
(トリビアとしては、ややインパクト薄めの情報)

 
商品名の由来/語源系

 
 
 
インパクトが大きい情報を集めた
「メニュー1」は
トリビア情報TOP
にあります。