コシノミチコはロンドンに憧れて渡英したわけではない(たまたま渡英)

 
 
コシノ三姉妹の末っ子・コシノミチコと言えば、
姉2人(ヒロコ/ジュンコ)がパリが活躍してきた一方、
ロンドンで活躍したきた人物で、
「MICHIKO LONDON」というブランドも保有していて
約40年間英国暮らしを続けている人物。
 
そんな彼女は、日本で暮らしていた頃から
英国やロンドンに強い憧れをもっていて、
その想いが形となって渡英した、と思っている人も多いと言われるが、
実はまったくそうではないという意外な話。
 
 


 
 
6歳上のコシノジュンコ、
4歳年上のコシノジュンコ、
は共に上京して東京の文化服装学院で在学中から頭角を現し、
卒業後も大阪に帰る事はなく、20代の頃から東京でデザイナーとして活躍しはじめるという華々しい人生を送っていた。
 
偉大な姉2人と比較される事を極度に嫌がってきたというミチコは、
服飾の道には進まずにスポーツ(テニス)に没頭するなど、
ひたすら姉達とは違うフィールドに身を置いていた。
 
 
そんなミチコながらテニス選手を引退したあとは
姉達の手伝いをするなど少しずつ服飾の世界に足を踏み入れるようになる。
 
しかし周囲の人物達とは離れるべく、
母(コシノアヤコ)や姉など自分と関係のある人物がまったくいない場所で活動をする事を決意。
 
 
ここからはテレビ番組によるジュンコさん&ミチコさんの本人談ながら

  • パリには高田賢三がいる(コシノ家との深いゆかりがあるデザイナー)
  • 東京にはジュンコがいる
  • 大阪にはヒロコがいる

という事情があり、
そんな中、消去法でロンドンに逃げるという道を思い付き、
1943年に単身渡英。
 
当初は貧乏に苦しんだもののロンドンでビジネスを成功させ、
1980年代からロンドンを代表するトップデザイナーとして活躍し、
「MICHIKO LONDON」ブランドも世界的なものとなった。
 
 
しかし、ロンドンを選んだのは身内がまったくいない「隙間」だっただけで、
「お姉ちゃん達の縁がないところはロンドンしかなかった」
「(未開拓の場所なら)実はどこでもよかった
という意外な事実を中継先のロンドンから明かし、
日本で収録を行うマツコデラックスを爆笑させた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
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