津森千里とドン小西は文化服装学院の同級生

 
 
東京の文化服装学院という服飾専門学校は
ロンドンのセントマーチンズやNYパーソンズなどと並んで
世界有数の教育機関の一つに数えられ、たくさんのデザイナー・業界人を輩出してきた。
 
その中には豊作の年もあり、
高田賢三・コシノジュンコ・松田光弘などを一挙に輩出した期に関しては
"花の9期生"などと称され、優れた同級生/クラスメートとの良好なライバル関係は互いの能力の育成に大きく役立ってきたと言われる。
 


 
 
文化服装学院というとデザイン科の9期生が豊作の年として有名ながら
他にも豊作の時期は存在し、それは1970年代半ばの時期。
 
この時期の文化服装学院では、デザイン科などにおいて
 

  • 津森千里・・・・・卒業後にイッセイミヤケグループを経てパリコレデザイナーとして長く活躍
  • ドン小西(小西良幸)・・・・・卒業後に自身の会社を立ち上げて、1980年代から1990年代にかけて東京のトップデザイナーとして活躍。NYコレクション参加歴もあり
  • 比嘉京子・・・・・「KYOKO HIGA」やニコル社の招聘デザイナーとして活躍
  • 田山淳朗・・・・・・卒業後にヨウジヤマモト社の海外スタッフとして活動したのち自身のブランドを立ち上げてパリコレで活躍

 
 
上記のようなトップデザイナー達が同時期に学んでいた。
 
 
 


 
その中でも、今ではタレントのイメージしかないドン小西氏と
津森千里氏は在学中に親交があった同期/ライバルとして知られる。
(高田賢三とコシノジュンコのライバル関係に近かった可能性あり)
 
二人は卒業後、1980年代から1990年代にかけて
同じ時期に東京コレクションのトップデザイナーとして活躍。
 
そんな中、ドン小西氏は1991年に毎日ファッション大賞のグランプリを獲得し、日本人デザイナー界の頂点に立った。
 
 


 
2000年代に入り、ドン小西氏は借金が原因でタレントに転身。
一方で津森氏は小西氏から約10年遅れで
2000年代初頭に毎日ファッション大のグランプリを受賞。
 
それをきっかけとしてパリコレに進出して世界的なデザイナーへと成長。
 
タレントに転身したドン小西氏も持ち前の才能でメディアにて活躍し、
多額の借金を完済する事に成功したほか、
押しも押されぬ人気タレントの仲間入りを果たす。
 
 
21世紀に入って全く別々の道を歩む事になった二人ではあるが
津森氏関連のイベントに小西氏がゲスト出演するなど長く親交が続いており、共演する度に津森氏の同期であるドン小西が
実はどれだけすごい人物であったかが広く世間に伝わり始めている。
 
 
 
 
 
 

 

 
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