山本寛斎は生涯を通じて自身の妻(嫁)の事をメディアを語らなかった

 
 
世界的デザイナーの山本寛斎と言えば、
女優・山本未來の親として有名。
 
そして、:結婚/離婚を何度も何度も繰り返して
歴代の妻たちや子供たちを困らせ続けた自身の父の生き方や、
遊び人で結婚しない30歳以上年下の義母兄弟・伊勢谷友介の生き方を公に批判し、
父のどうしようもない人間性・生き方・考え方を半面教師として
妻や子供を大事にする、伊勢谷友介とは対照的な人生を送ってきた事で知られる。
 
しかし、次女の未來など娘の事をメディアで語る事はある一方、
愛妻(嫁)の事はまったくその正体を知られていない。
 
それは何故かというと、自身が生涯を通じて妻の人物像をメディアで一切語る事がなかったため
(未來さんによると、話の流れ上、どうしても妻の事を語らないといけない時は「Mrs.ヤマモト」といったように謎めいた紹介をしてきた模様)
 
 
 


 
 
どういったポリシーで妻の事を一切語らないのかは不明ながら
著書を含めたマスメディアで寛斎氏は自身の生涯を
恥ずかしい部分・消したい過去も含めて包み隠す事なく語って来た。
 
そのため、寛斎氏の歩んできた道は広く国民の間で知られている。
 
次女・未來についても、1回目のパリコレ挑戦に失敗して自殺も考えていた一方、
「神様、どうか私にもう一度"未来"をください」
と再挑戦を考えていた中で1974年に次女が誕生し、その子に「未来(2000年に未來へと改名)」という名前をつけた、と名前の由来まで事細かく話しているほど。
 
しかし、そんな寛斎氏ながらあらゆるメディアで自身の妻(嫁)の事は一切語ってこなかった。
娘たちとの写真は公開された歴史がある一方で、妻の写真は一切公開せず、その存在は謎に包まれてきた。
 
そのため、例えば次女が誕生した直後など早期段階で離婚し、
それ以降は赤の他人として生きてきたのではないか、などと
推測する人も多数いたと言われるが、山本未来氏の数回の徹子の部屋出演などにより、少しだけながら寛斎氏の愛妻の情報は明らかになっている。
 
 


 
 
2008年に親子で徹子の部屋に出演した際、
徹子さんから妻の事を聞かれた寛斎氏は笑ってごまかし、
かたくなに妻の事を話さなかった一方で、となりにいた未来さんから
「今は専業主婦」
「もともと寛斎氏同様のニット関係の仕事をしていた」
といった貴重な情報が語られたほか、
死後の2023年出演時は
「普段、家族で実家にいる時は、母(寛斎妻)・姉(未来の姉)と私(未来)と、家が女系社会で男1人のため、女達の会話には入っていけず、父は微笑みながらおとなしくしていた」
と晩年まで家族仲良く過ごしていた事などが判明。
 
 
その他、これまでの本人発言や娘の発言により、
子煩悩で若い頃からクラブ遊びなどはせずに会社が終わったら定時で家へ帰り、
家族と過ごす時間を大切にしていた事、
(ディスコ通いをするようなチャラチャラしたデザイナーを批判していた)
妻に育児を任せきりにする事なく自身も積極的に育児に参加してきた事、
海外コレクション参加で1年の半年は海外で過ごす中、
娘たちに愛情いっぱいのメッセージカードをおくるなどしてコミュニケーションをとっていた事なども明らかに。
 
 
そういったエピソードを通じ、
女・子供を大事にしない父や弟(伊勢谷友介)が世間での評判を落とす中、
仕事で共闘してきたモデル・山口小夜子との一線を越えた関係は噂されるも
やたらと浮気/不倫をするようなことはなく、
家族を大事にする姿勢を生涯貫いてきた寛斎氏の生き方は、年を追うごとにリスペクトされている。
 
 
 

 

 
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