マリー・アントワネットは世界最古の女性ファッションモデル?

 
 
 
一般的に「ファッションモデル」という職業は、
1800年代後半にフランス・パリで活躍した英国出身の男性
シャルル・フレデリック・ウォルトという人物が生みの親とされる。
(この人物がオートクチュールというビジネスモデルの原型を作り上げ、顧客の前でモデルを使った小さなショーが開催されるようになった)
 
 
しかし、それより100年くらい前のフランスで生きたある有名人が、世界最古の女性モデルと言える可能性があるという話。
 
 


 
 
その有名人とは、東欧・オーストリアで生まれたのち、
フランス王のルイ16世に嫁いで18世紀(1700年代後半)にフランス王妃として公務にあたったマリー・アントワネット。
(ハプスブルグ家の出身/1755年生まれ)
 
この人物は1970年に次期国王・ルイ16世の妻となったのち、
1774年に夫が国王となった事で自らも「フランス王妃」へと昇格した。
 
19歳の若さでフランス王妃となった彼女は
抜群の美貌・プロモーションをもった女性で
若い頃はフランスの女性達のファッションリーダーだったこと事で日本でも有名。
 
そんな彼女が王妃として公務にあたっていた頃のフランスは
他国に先駆けて服飾産業が盛り上がってきた時期。
 
そんな中、マリーはNHKの某歴史番組の見解によると、
一般的にはわがままで役立たずなイメージ/浪費家をもたれていて
例えば浪費家であったのは確かと言われるが
絶世の美人と言われていた若い頃、
フランスを訪れる各国の要人と接見する際、
フランスで作られた品質の生地をを使用した豪華な服を意識的に着用して要人と接し、
フランスの国力・縫製技術の高さを他国にアピールする活動を行っていた模様。
 
 
その努力も少なからず影響してか?
フランスの服飾産業は19世紀後半(1800年代後半)にさらに発展し、
オートクチュールというシステムが確立されてそれが発展していき、
世界最高峰の存在となっていった。
 
 
そんな彼女は「有名な歴史上の人物」という括りで考えると、
自分や宮殿を飾る事にお金を使い過ぎたという問題はあるものの、
"世界最高の有名女性ファッションモデル"である、という言い方も出来るだろう。
(小国の無名な王妃も含めると、自身がモデルとなって、自国の服飾技術の高さを他国にアピールしていた人がマリーより前にいた可能性も否定はできず)
 
 
 


 
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