パリにおける高田賢三の最初の顧客は島田順子

 
 
1970年代前半からパリモード界において
最高ランクの活躍をしてきた日本人デザイナー・高田賢三氏が
パリにおいて(非売品ながら)最初に服を作った記念すべき相手は、
同じ時期に日本からやって来た同僚/友人であったという話。
(1970年にJUNGLE JAPという店を立ち上げる前に、作品を作った相手がいる)
 
 


 
 
その相手とは、
高田賢三氏・三宅一生氏・山本寛斎氏などと共に
パリで克也筑した国際的日本人デザイナーの1人に数えられる
JUNKO SHIMADAの島田順子氏。
 
 
島田氏のインタビュー発言によると、
1966年にパリに渡ってから現地のテキスタイル会社で
先に働いていた高田氏やその会社のオーナーに気に入られ、
その会社に入社して高田氏と共に働いていた島田氏には当時、
フランス人の恋人が存在した。
 
その男性が島田氏に結婚を申し込んだ事を聞きつけると、
高田氏は結婚の記念としてお金がない中、
余った布や安い素材をつぎはぎして同僚・同士・友人である島田氏のために
世界で一つだけのパッチワーク・ワンピースを作りあげた。
 
 


 
 
求婚してきたフランス人男性とは結局結婚しなかった島田氏であるが、
彼女は賢三にとっての最初の作品を何十年経ってもパリの自宅にて大切に保管し続けてきた。
 
その高田賢三最初の作品とみられるワンピースは
2020年末にNHKの高田賢三追悼に島田順子氏が出演した際、
島田氏が家の上層階からもってきて番組内で紹介された。
 
 
 
 

 

 
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