日本初の洋時計ユーザー(保有者)は徳川家康
日本にもともと存在していた和時計と呼ばれる独自の時計とは大きく異なる
「洋時計」
・文字盤に1から12の数字が並ぶ
・何時かを表す短い針と何分かを表す長い針がある
というものは今日の日本においてもスタンダードなもので
人々の生活には絶対欠かせないものとなっている。
そんな洋時計を日本で初めて所有した人物はあの有名人だった。
それは、1600年代初頭に現在の東京都心で江戸幕府を開き、
その初代将軍になった徳川家康。
江戸時代の日本というと鎖国政策に代表される通り、
西洋文化をひたすら排除してきた印象のの中、
何故家康のもとに洋時計が届いたのかというと、彼の親切な行為が関係する。
具体的には、西欧の強い国が船を使って
世界各地に進出していった時代、
1609年秋、日本から近いフィリピンを経てメキシコを目指していたスペインの船は
暴風雨が影響して日本の江戸(現在の東京)からほど近い房総半島の御宿エリアに漂着してしまった。
(かなり大きな船であったため、乗組員は400人近くいた模様)
船員の多数は体が弱っていて間もなく死にそうな状態だったらしいが、
地元の庶民やこの地域にあった城の城主たちは
彼らを見殺しにするのではなく助け合って彼らを蘇生させ、多くの命を救った。
その後、船員たちが元気になったのち日本政府のトップ・徳川家康は
少し前に家康が命じて造っておいた大型の西洋型帆船を使い、
日本に漂着したスペイン人達をもともとの目的地であるメキシコまで送り続ける事を命じた。
(日本を出発してから4カ月経過し、スペイン人達は1610年秋に無事、メキシコに到着)
[注記]
家康は1605年に将軍職を息子の徳川秀忠に譲り、
会社でいうところの「会長」的な"大御所"というポジションに移行したが、
2代目将軍時代も実質的な国のトップは家康だった。
翌1611年、日本政府に助けられたスペイン国の要人は江戸を訪れ、
1605年に2代目将軍となった徳川秀忠に接見。
さらに実質的なトップである家康にも接見するため、
駿府(静岡)の家康も訪問。
その際、スペイン国王からのお礼の品の一つとして家康に献上されたのが、
当時のスペインの時計製造技術を駆使して造った洋時計。
(腕時計ではなく置時計)
当時の日本においては時間の計測文化などに違いがあったため、
実用品として使う事はなかったといわれるものの
家康はその格好いい外観の洋時計を部屋に置物として飾り、生涯大事にしていたという。
家康の死後、静岡の久能山東照宮に奉納されたその洋時計は
400年に渡って、当時の姿のまま大事に保管され、
久能山東照宮博物館に収蔵されている。
「腕時計」ではなくあくまで「置時計」ながら
400年以上前に現代の日本でも必要不可欠な洋時計の
「日本人初ユーザー」
が徳川家康であるという事は、現代の日本人の間であまり知られていない。
参考文献
https://www.toshogu.or.jp/about/clock/
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