森英恵は新人時代に喫茶店でショーを開催していた

 
 
1970年代後半にパリオートクチュール協会の正会員となり、
1980年前後から2000年後にかけて大規模なオートクチュール/プレタポルテのショーを開催してきた森英恵によるHANAE MORIブランドながら、そのブランドが開催するショーの原点は意外すぎるほど地味なものであったという話。
 
 


 
 
戦時中に出会った男性と戦後に若くして結婚した森英恵ながら
少しして専業主婦生活に飽きてしまい、
都内の有名専門学校に通って専門知識を身につけ、
1950年代に入って小規模に新宿での洋裁店ビジネスをスタートさせた。
 
お金がなかったため新宿と言っても目立たぬ場所に店があって
店を目立たせるため・店のビジネスを繁盛させるため、
新人時代は夫と共にあらゆる努力をしていた事で知られるが、
そんな中で当時はまだ珍しかった「ファッションショー」というイベントを開催する事を思いつく。
 
しかし、ファッションショーと文化がまだ存在しなかった国内において
当時はショー開催のために存在するような施設はなく、
新人時代の森英恵には大きな会場を借りるような余裕もない。
 
 


 
そんな中、会場として選んだのは「喫茶店」。
 
ただし本人とは無縁の喫茶店ではなく夫が経営していた近所の喫茶店で、
(つまり会場を借りるお金が不要)
その喫茶店を借りて、シャネルをはじめとした
パりのオートクチュール店が1950年代に開催していた店内フロアショーを真似たような小さなオートクチュール系ファッションショーを定期的に開催するようになった。
 
その定期的なショーは階を重ねる毎に当時の人々の間で話題となったほか
業界からも注目されて有力媒体に取り上げるほどになり、
彼女の存在はショー開催をきっかけとして一気に飛躍したほか店の繁盛にもつながった。
 
その後、森英恵はモナコのグレースケリー王妃からの依頼で
富裕国・モナコでの大きなショーを開催したり、
(当時モナコに新設されたホテルの、大事なオープニングイベント)
パリコレ進出後はパリの華やかな場所で大きなショーを開催する事になるが、
その原点が「喫茶店」にあった事はあまり知られていない。
 
 
 
 
 

 

 
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