Vウエストウッドは友人・山本耀司のショーにモデルとして出演した事がある

 
 
世界的なデザイナーとは、友達からのオファーであっても、
決して他のデザイナーのショーにランウェイモデルの1人として出演することはないもの。
(デザイナーがOKしたとしても、ブランドイメージコントロールの観点から、広報などがNGを出したりするため、決してそういう事は起こらない)
 
しかし、珍しい例外が存在した事がある、という話。
 
 


 
 
日本人の山本耀司と英国人のヴィヴィアン・ウエストウッドは、
1980年代初頭からパリコレの舞台で共に戦ってきた盟友。
 
共に「強い反骨心/晩な精神をもつ」という大きな共通項があり、
その思想から創り出される作品は、
それまでのパリコレで発表されてきたものとは大きく異なるため、
パリコレ出展当初からすんなり受け入れられたわけではなく、
ある程度時間をかけて少しずつパリで認められるようになったという経緯をもつ。
(共に新人時代はマスコミから批判されたり馬鹿にされたりして屈辱的な想いをしたとも言われる)
 
そんなパリにおける戦友は、いつしか互いに強い尊敬の意を抱く存在となり、交流を深めていく。
 


 
1990年代に入って明確に2人とも世界のトップデザイナーの1人として
認知されるようになったのち、1990年代後半に珍しい出来事が起こった。
 
ヴィヴィアン氏はショーのフィナーレにて姿を現さない川久保玲氏とは対照的に、
ディオールのジョン・ガリアーノ同様、ショーのフィナーレでは必ずランウェイに登場し、彼女を主役としてショーが終了する。
 
しかし、他人のショーに一般モデルとして登場する事はなかったが、
ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)の1998-99秋冬メンズコレクションにて
このブランドの象徴である黒服姿、また対照的な黒い服(メンズ系)を着用し、
笑顔でランウェイにモデルとして登場してウォーキングを披露するというサプライズが起き、会場の観覧客やマスコミをアッと驚かせた。
 
 
それに気を良くして、モデルとして活動するようになったという事もなく、会場で彼女のウォーキングを見た人は極めて貴重なシーンを目撃したといえるだろう。
 
 
 
 
 

 

 
メニュー1 TOPページはこちら
(インパクト強い情報ばかり)
 

 
 
メニュー2
(トリビアとしては、ややインパクト薄めの情報)

 
商品名の由来/語源系

 
 
 
インパクトが大きい情報を集めた
「メニュー1」は
トリビア情報TOP
にあります。