ココシャネルは世界の真珠業界の救世主

 
 
CHANELの創業者である
ガブリエル・ココ・シャネルと言えば生前、
宝石や衣服を通じて自らの地位の高さを誇示しようとしていた富裕層女性達を毛嫌いしていた事で有名。
 
そんな彼女は、1920年代から1930年代にかけて
天然/養殖問題で混乱していた真珠業界にて天然側/養殖側どちらの繁栄にも大きく貢献したという話。
 
 


 
 
養殖真珠に比べて天然真珠というものは桁違いに希少なもので、価格も高価であった。
 
そんな中、のちに世界で「真珠王(Pearl King)」と呼ばれる事になる
MIKIMOTO創業者の御木本幸吉は1890年代に真珠の養殖に成功し、
世界に衝撃を与えたほか発明王・エジソンの事も驚愕させた。
 
 
しかし日本の養殖真珠が発達する中、
天然真珠業界側との軋轢が生まれ、
「日本の真珠は天然の模造品で、それを販売するのは詐欺商法である」
と問題になり、通称「パリ真珠裁判」がひらかれるまでに。
しかし、ミキモト側は勝訴して養殖真珠の価値が高まる。
 
一方でヨーロッパの天然真珠市場は崩壊。
そして天然業界には失業者がたくさん出た模様。
 
 


 
 
そういった出来事があった1920年代半ばの1926年、
パリのデザイナーで、自らがインフルエンサーとしても
女性達に極めて大きな影響力をもっていたココ・シャネルは
まるでユニクロのワンピースのような、
シンプルで簡単に量産できる「リトルブラックドレス」という極めてシンプルなドレスを発表。
 
発表から量産可能なこのシンプルなドレスは世界中で大ヒットするが
併せてココシャネルは本物の真珠と模造の真珠を同時に使う
「コスチューム(イミテーション)ジュエリー」というものも開発。
 
 
自ら本物と偽物を混ぜたパールネックレスを
リトルブラックドレスに合わせて積極的に装着して表舞台に姿を現し、
「リトルブラックドレス+パールネックレス」
の組み合わせは定番となる。
 
[注記]
本物だけで構成されたパールネックレスをみせびらかす
貴族女性に対する嫌味として、コスチューム/イミテーションジュエリーは誕生。
 
 
 
それにより、リトルブラックドレスの世界的メガヒットにより
真珠/パールの需要は急激に高まったほか
真珠というものが「天然か」「養殖か」「偽物か」という事は
どうでもいい議論となり、パールネックレスという商品自体に大きな脚光が当たる。
 
その市場拡大と、本物と偽物の真珠を混ぜる文化の広まりにより、
もともとは金持ち女性の見せびらかし道具だった天然真珠を嫌っていたと思われるココながら
結果的に養殖真珠業界の発展に貢献しただけでなく、
天然真珠業界にとっての救世主となった。
 
 
 
 
参考文献
https://www.mikimoto.com/jp_jp/brand-story
https://www.tenseipearl.jp/pearlhistory
 
 
 
 
 

 

 
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