クリスチャン・ディオール氏がデザイナーとした働いたのは僅か10年

 
 
世界的なファッションデザイナーというものは、
20代・30代頃に自分のブランドを立ち上げて、
数十年に渡るキャリアを築く中で
ようやく世界的なデザイナーの1人として扱われるようになる傾向にある。
 
例えばガブリエル・ココ・シャネルは1910年代から約30年働いたのち、
第二次世界大戦時期の休業期間を経てパリモード界に復帰し、
1971年1月に亡くなる直前まで働き続けた。
つまり、休業期間も含めると60年ものキャリアがある。
 
その他、猛者がたくさんいる中、短いキャリアで
世界的なデザイナーの1人にまで成長したような例はほとんど存在しない。
(30年から50年くらい活躍したケースが大半)
 
しかし、ココ・シャネルを戦後に復帰させる要因を作ったといわれる
クリスチャン・ディオール氏だけは例外。
 
 


 
 
1905年に誕生したディオール氏は若い頃に画家として活動していたほか、
画廊経営で生計を立てていた。
 
ファッションデザイナーとしての修行を開始したのは、
30代に入った時期あたりからで、某有名デザイナーのもとで修業を積む。
 
そして、ようやく自分のブランドをもつ事ができたのは
41歳となった1946年の事。
 
ブランド設立後の1947年2月にデビューを果たしたが、
ココ・シャネルが女性の腰を開放するカジュアルな服を開発した後の時代に
時代を逆戻す、女性の腰を締め付けるデザインの作品などを発表し、
瞬く間にスターデザイナーの仲間入りを果たした。
 
メディアから消費者から作品が高い評価を受ける一方で、
その作風は休業中のシャネルを激怒させ、
彼女は打倒ディオールを掲げてデザイナー業に復帰したとされる。
(シャネルは1954年に71歳でパリモード界に復帰)
 
そこからディオールとシャネルは同時期にデザイナー業をしていたが、
わずか3年後の1957年、52歳という若さで急逝
 
それにより、デビューしてから10年で短いキャリアに終止符が打たれた。
 
 


 
 
その後、メゾンはサンローランやマルクボアン、
ジョン・ガリアーノなどに継承されてさらなる成長を遂げ、
「クリスチャン・ディオール」というブランドの名前、
そして同名の創業者の名前は広く世界に知れ渡った。
 
そんなディオール氏はさぞかし長い期間をかけて
自身のブランドを育ててきたのであろうというイメージが強い中、
もともとは別の仕事をしていたため、
デザイナーとして働いていたのはわずか10年に過ぎない事は
一般層の間であまり知られていない。
 
 
 
 
 

 

 
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