三越本店のライオン像は第二次大戦時に溶かされて消滅する寸前だった
1940年代前半の太平洋戦争/第二次世界大戦時の日本では、
深刻な金属不足の問題が発生。
そんな中、軍需生産のために「金属回収令」が公布され、
家庭や街からは次々に様々な金属類(鉄製品・銅製品など)が消えていった。
公共性のある施設のシンボル的なものも「回収免除」とはならず、
寺院などからも次々に金属類が日本軍に回収されていく中、
東京日本橋のランドマーク的な三越日本橋本店入り口のシンボル
「ライオン像(青銅製品)」も例外なく回収されてしまった。
そして、ライオン像は溶かされて軍事製品の原料になる事が確定する。
しかし、奇跡が起こった。
具体的な理由は不明ながら、
溶かされる寸前だったライオン像はなぜか溶かされて消滅する事はなく、
戦後に東郷神社という場所にそのまま放置されているところを三越社員に発見される。
そして発見後、ライオン像は本店入り口に奇跡の帰還を果たし、
再び買い物客で出迎えるシンボルとなった。
さらに年が経つにつれて「札幌の時計台」同様、
日本橋の観光名所にもなっていく。
そんな奇跡の帰還撃は一部の間でよく知られ、
三越広報スタッフが出演した某テレビ番組によると、
幸運のご利益を得ようと、像に触っていく買い物客/観光客が後を絶たないという。
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