NIGO(BAPE創業者)は若い頃に中山秀征のスタイリストだった

 
 
BAPE(a bathing ape)の創業者であるNIGOといえば、
22歳だった1993年にBAPEを立ち上げたのち、
まもなく裏原宿ブームが起き、下積み生活を経験する事なく
デザイナーとして大成功した人物と思われがち。
 
しかし、文化服装学院在学中にはDJ・ライターのアルバイトのほか、
服飾絡みの意外な修行をしていて、あるタレントの躍進に大きく貢献していたという話。
 
 


 
 
親友で一学年上の高橋盾は在学中に知人と共にUNDERCOVERを立ち上げ、
一足早くキャリアをスタートさせた。
 
そんな中、NIGOはDJとしては活動していたものの
服飾業界内での経験という意味で高橋盾に遅れをとっていた。
 
そんな彼ながら高橋氏と共に可愛がってもらっていた原宿のドン・大川ひとみ(MILKデザイナー)を通じて、
当時まだ売り出し中だったよ若手タレント・中山秀征(NIGOの3歳年上)と原宿で会う事に。
 
大川氏からNIGOという存在を猛プッシュされた中山秀征は、
同じく群馬出身であるというゆかりもあり、
まだ無名だったNIGOを自身のスタイリストとして迎え入れる事に。
 
そして1990年頃に2人の関係がスタートしたが、
NIGO氏プロデュースの先進的な衣装(のちの裏原宿/ストリート系)を着用してメディアに登場する中、
中山秀征は1991年以降、瞬く間に人気タレントへと成長していき、
彼のレギュラー番組本数が10本を超えてからも単独で
中山秀征の衣装プロデュースを細かく行ってきたという。
 
関係は3年ほど続いたが、1993年の秋頃、
高橋盾と共に立ち上げた裏原宿の店において
NIGO氏が本格的にデザイナー活動をスタートさせるという事で、
超売れっ子・中山秀征のスタイリストとしての活動を続ける事は困難になり、
後任者に引き継いだ上で中山秀征のスタイリストとしての活動に終止符を打つ。
 
 
 


 
 
中山秀征に時代を先取りした王道ストリート系の衣装を着せ、
彼の芸能界での成功に少なからず貢献できたという自信もあってか、
1993年にBAPEを立ち上げたNIGOは
その後、すぐにデザイナーとして大成功し、
裏原宿/ストリートファッションブームの立役者となる。
 
 
中山秀征のタレントとしての急成長時期は
NIGOがスタイリストとして活動していた時期は重なるほか、
NIGOも中山秀征に着せた服が高い評価を受けた事で
当時は市場規模が小さかったストリート系ブランドを運営して
成功できそうな自信をつけたのだとすると、同郷(群馬)出身のこの二人は、
互いのキャリアにおける大きなキーパーソンになったといえるだろう。
 
 
 
ちなみに、NIGOが中山秀征のスタイリストだったという話は、
2000年代に入ってNIGOが世界的な注目を集める中、
中山氏が自身のラジオで
「NIGOくんは昔、俺のスタイリストだった」として
当時のエピソードを度々語る中で少しずつ世間に浸透していった。
 
 
 


 
 
[話の続き]
BAPEを離脱したNIGOは2010年にHUMAN MADE
https://humanmade.jp/pages/about
という2番目のブランドを立ち上げたが、
中山秀征が2020年に
【警備保障イー・アールプレゼンツ 中山秀征のヒデワーク】
https://www.youtube.com/@presents345/
というYouTubeチャンネルを立ち上げると、
このチャンネルで配信する映像に出演する際の公式衣装として
HUMAN MADEの衣装を採用し、四半世紀以上のブランクを経て2人の仕事上の付き合いが再開した。
 
 
チャンネル概要文では
「毎回中山秀征の衣装は最新HUMAN MADE。
A BATHING APE創始者NIGOさんがデザインするブランHUMANMADE。
これもヒデワークの見所のひとつ。
最新HUMANMADEに身を包み中山秀征が新たに挑むトーク専門チャンネルがヒデワークです。」
と、HUMAN MADEが公式衣装である事を明確に明言している。
 
 
 

 

 
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