プラダ家御曹司のロレンツォ・ベルテッリは元世界的レーシングドライバー

 
 
プラダというミラノの世界的総合服飾系ブランドは、
他のイタリア系ブランド同様にファミリービジネスを行ってきた。
 
実際に歴代トップは総強者・マリオブラダの子孫が務めてきた歴史をもつ。
 
そして、3代目のミウッチャ・プラダが70代を迎えた中、
彼女とその夫であるパトリツィオ・ベルテッリとの間に生まれた
2人の息子については、将来的なプラダの社長/デザイナー候補として高い注目が集まる。
 
その2人の中の1988年生まれの息子は、
2017年に家業入りをしたが、2016年までは服飾系ではなく、全く別の仕事をしていた。
 
 
 


 
 
1988年、パトリツィオ・ベルテッリとミウッチャの間に
イタリア国内で生まれたロレンツォ・ベルテッリ。
 
イタリアという国は伝統的にモータースポーツが盛んな国で、
そんな国で育つ中で彼はすぐに家業に入るのではなく、
若いうちはレーシングドライバーとして活動する事を夢見だした。
 
そして、2010年にレーシングドライバーとしてのキャリアをスタートさせると
その翌年となる2011年には、ラリーカー分野の最高峰で、
F1同様に国際自動車連盟(FIA)が主催する
「FIA 世界ラリー選手権(WRC)」に早くもデビュー。
 
そこから、最高峰クラスではないものの、
WRC2というサポート選手権にて2013年から2014年にかけて
たくさんの表彰台を獲得するなどWRC2の中心的ドライバーの1人として大活躍。
 
WRC公式HPによると、家族との約束である時期に
モータースポーツを辞めて家業に入る事になっていたらしく、
2015年以降はレーシングドライバーとしての活動を縮小。
 
2017年にはプラダ入りして首脳陣の1人として活躍するようになったが、
資金力があっても実力がなければ通用しない残酷なスポーツの世界で、
レースの世界の人々の中でもその実力は高く評価されている。
 
 
なお、プラダスタッフになってからも小規模でレーシングドライバーとしてのキャリアを継続しており、
「ビジネスマン兼レーシングドライバー」という、
ハイファッション業界の中では特殊な肩書きを持つ。
 
 
 
 
 
 

 

 
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