F1の重鎮、フラビオ・ブリアトーレはもともとベネトンの店舗責任者だった
フラビオ・ブリアトーレというイタリア人は、
- フランク・ウィリアムズ(Williams F)
- ロン・デニス(マクラーレン)
- ジャン・トッド(フェラーリ)
などと並ぶF1歴代チーム監督分野のレジェンド的な存在。
そして、このF1界は自動車に関する専門的な知識・経験が必要不可欠で、
もともとレーサーなどとして自動車レースの世界とかかわっていた人物が大半。
しかし、フラビオはもともと完全な部外者だったという話。
アルファタウリというイタリアのファッションブランドがF1に参入するはるか前、
1980年代半ばにイタリアのカジュアルブランド「BENETTON」は
まずトールマンというチームのスポンサーとしてF1に参入。
そのトールマンを買収し、1986年から「ベネトンF1」として
F1世界選手権に参加していたがなかなか結果が出ず、
ベネトン創業者であるルチアーノ・ベネトンは1990年頃にチームを売却する事も考えていたという。
バーニーの介在でF1の世界に転職
そんな中、F1の人気を世界的なものにしたバーニー・エクレストンは動く。
(F1界の人事を含めた様々な動向は彼が牛耳っていた)
バーニーはベネトンのアメリカ支社に、
フラビオ・ブリアトーレという敏腕ビジネスマンが在籍している事を聞きつける。
(コマーシャル・ディレクターという肩書き)
そしてバーニーは
「店舗運営がうまいならF1チーム運営もできるだろう」
という推測のもと、フラビオに会ってみると、
その若いイタリア人ビシネスマンの人間性や女性F1ファンを獲得できそうなルックスの良さに魅了された。
その後、ルチアーノとコンタクトを取り
そのブリアトーレという若手ビジネスマンをF1の現場に異動させた。
(ベネトンF1チームの監督として)
完全なアパレル業界の人間だったフラビオながら
バーニーの予測は見事に当たり、
優れたビジネスセンス/統率力などをいかんなく発揮。
1991年途中にはバーニーから新人のシューマッハを獲得するように進言され、シューマッハを獲得。
そこからシューマッハと共にチームは急成長し、
1994年にはミハエル・シューマッハをワールドチャンピオンへと導いた。
またアパレルブランド系チームとしては初めて
ベネトンをF1界最高峰チームに育て上げた。
[余談]
女性を口説くテクニックも上手で、スーパーモデル、ナオミ・キャンベルとの恋愛が話題になった事もあり。
ルノー監督としても活躍
2000年代にベネトンはパートナーとして戦ってきた
フランスのルノーに買収されるが、
有能なイタリア人のフラビオはチームに在留。
2005年・2006年にはルノーのフェルナンド・アロンソを2年連続ワールドチャンピオンへと導いた。
その後、2008年の某ストリートサーキットにて
チームの結果を有利に進めるため、
ネルソン・ピケJrに故意のクラッシュをするように指示した事が発覚し、
F1界から追放されたフラビオながら、
そのF1チーム経営能力の高さは今でも高く評価されている。
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