相澤陽介はコムデギャルソンを退職してからニッカボッカを履いてしばらく肉体労働をしていた

 
 
White Mountaineeringのデザイナー、相澤陽介氏と言えば

  • 名門・多摩美術大学出身
  • 大学を出てあのコムデギャルソンで勤務
  • White Mountaineeringを立ち上げてからパリコレで活躍
  • 様々な世界的企業・ブランドとのコラボを展開
  • アウトドア系ハイファッションブランドという独自のポジションを確立

 
など華々しいキャリア・バックグラウンドの持ち主。
 
 
世界的なデザイナーの1人に数えられる相澤氏ながら、
コムデギャルソン退職後にハイファッションの世界とは無縁の以外な時代があったという話。
 
 


 
 
三宅一生氏などを輩出してきた多摩美術大学に通う中、
就職先を模索していた相澤氏はおぼろげにデザイナーを目指し始め、
川久保玲氏が率いる世界的なハデザイナーズブランド企業、
コムデギャルソン社へと入社を決める。
 
この会社で企画の仕事などを経験して多忙な生活をおくっていたが
忙しすぎる毎日の中で心がパンクし、5年務めてきたコムデギャルソンを退職する事に。
(つまり、自分のブランドを立ち上げるために退職したわけではない)
 
 
心が疲れている中でも生活のためにお金は稼がなければならない中、
相澤氏はしばらく男性用作業着の定番である
ニッカボッカを働いて肉体労働に従事する時期を経験する。
 
前職とは無縁の世界で働く中、
再びハイファッションの世界で働きだしたいという意欲が芽生えだし、
コムデギャルソン在籍時代から頭の中にあった
「アウトドアベースのハイファッションブランド」
という空白のポジジョンのハイファッションブランドを立ち上げる事を思い付き、
ホワイトマウンテニアリングを創設。
 
 
その後、日本でのキャリアを経てパリコレのトップデザイナーとして
羽ばたいていく事になる相澤氏であるが、
このブランドはユニクロのように機能性の高さを重視して作られているほかスポーツ性があり、
防水性・撥水性などもよく考えられていて荒天にも強い。
 
そんな独特なホワイトマウンテニアリングの商品は、
かつて自分が経験した肉体労働などの外仕事をする男性達からも強く愛されている。
 
 
 
ちなみに世界的なパリコレデザイナーの中で、
バリバリの肉体労働経験した事があるような人はほとんど存在しない。
 
 

 

 
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