ココシャネルは川久保玲より半世紀以上前にパリで黒服を流行らせた

 
 
欧州圏では"黒"という色が伝統的にタブーしされていて、
それを最初にぶち破ったのは1980年代初頭にパリにやって来た日本人の川久保玲(&山本耀司)」
 
 
というような定説が一部で広まっており、
パリ/フランスでの黒服人気はアジア人の川久保玲が開拓し、
その川久保玲に憧れたベルギー人若手デザイナー
(アン・ドゥムルメステール、マルタン・マルジェラなど)
達がその流れを確固たるものにしたと思っている人も多いと言われる。
 
ではパリ/フランス/欧州ではそれ以上に黒服が流行った歴史はないのかというそんなことはなく、
それより半世紀以上前のパリには
その才能と巧みな戦略で「黒服」を流行らせた人物が存在するという話。
 
 


 
 
その人物とは世界で一番有名な女性デザイナーと言われる
ガブリエル・ココ・シャネル。
 
若い頃はデザイナーとしての才能・商売人としての才能に加え、
美貌を活かして自らが広告塔となり、
パリの女性達(所得が多いわけではない庶民)から羨望のまなざしで見られていた事で知られる。
 
1910年代にビジネスをスタートさせると
まず利益率の高い香水をヒットさせたほか、
庶民でも買いやすいジャージ素材(安価)を使用した、
伸縮性があるため動きやすくて着心地の良いジャージドレスを大ヒットさせる。
 
そんなココは1926年頃に無駄な装飾をそぎ落とした
「リトルブラックドレス」という黒い生地を使用したシンプルなドレスを発表。
ジャージドレス同様に着心地のよいこの作品もまた大ヒット。
(末広がり型ではなく、筒形のシルエットである事がもともとの特徴)
 
このリトルブラックドレスの大ヒットにより、
トップデザイナーの座を確固たるものとした。
 
 
そんなリトルブラックドレス(略称「LBD」)
はシャネルスーツやジャージドレス同様の定番商品として
21世紀に入っても姿を少しずつ変え、コレクションの場で発表され続けている。
 
また、ココによるリトルブラックドレスの発表をきっかけとして、
女性セレブ(女優・モデル)のパーティー/レッドカーペットでのドレスアップの定番にもなっていった。
(特に1950年代・1960年代に活躍したオードリー・ヘップバーンのリトルブラックドレス姿が有名)
 
 
 

 
 
 
 
 

 

 
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