ココシャネルの業界復帰(1954年)はクリスチャンディオールが要因ではない!???

 
 
ココ・シャネルと言えば第二次世界大戦がはじまった1939年に
一部部門を残してメゾンを閉鎖。
 
その時点で50代半ばを迎えており、実質的な引退と見られていた。
 
しかし、1954年初頭に70歳でパリモード界に復帰して大きな驚きを与えた。
 
1910年前後にポール・ポワレと共に(一緒に仕事はしていない)
当時の女性達をきつくるしいコルセットから解放する事を尽力し、それに成功。
 
ただ1947年にデビューしたクリスチャン・ディオールが
時代を逆行するような女性をきつくしめつけるデザインを再流行させ、
それに憤慨した事が70歳でのまさかの復帰の要因というのが定説。
 
しかし、実際にはそれだけが復帰の要因ではないという強い説を紹介。
 
 


 
 
ココ・シャネルは働く事が好きな女性。
 
1939年にメゾンを閉鎖するまでは大企業となったシャネルのトップとして
極めて多忙な生活をおくっていたが、
1939年にセミリタイアしてからは実に15年に渡って、
1910年に本格的に仕事を始める前のような退屈な生活を長く続け、相当飽き飽きしていたと言われる。
 
そんな中、ディオールの作風に対する大きな反発もあったが、
実際には
 

  1. 暇な生活にうんざりしていた事
  2. 1950年代に入って大事に人を亡くして心の中があいた中、忙しく仕事をする生活に戻り、孤独感から解放されたかった

 
こういった事も実は大きな復帰の要因になったのではないかという説も強い。
 
 
嘘をつく事が多いココ・シャネルは
インタビューにて本当の事を語らない事も多いため真相は不明ながら
仕事復帰したシャネルは70代から再び活躍し、1971年初頭に87歳で亡くなる直前まで、現役バリバリで忙しく働き続けた。
 
 
 
 
 

 

 
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