敏腕・渋沢栄一は「番付表」を作って地元藍玉製造農家の競争意識/向上心を育てた(行司役も務めた)

 
 
 
明治時代に入ってから、たくさんの企業・組織の設立に関わって
近代日本経済の発展に大きく貢献してきた歴史をもつ渋沢栄一(1840年生まれ)が、
江戸時代を生きていた若い頃から敏腕なビジネスマンであった事を物語る話を紹介。
 
 


 
 
埼玉県深谷市において江戸時代末期に誕生した渋沢は繊維業とのゆかりもある人物。
 
なぜなら、ねぎで有名な深谷において畑作を行うだけでなく

  • 藍玉(染料)の製造・販売
  • 養蚕業(=シルク関連業)

も営んでいた繊維業系の家系に生まれたから。
 
10代になった渋沢は家業を積極的に手伝うようになり、
幅広い知識を身につけていった。
 
20代に入ると武州(埼玉)エリアだけでなく
藍玉販売の得意先であった長野や群馬の紺屋(染物屋)まで
年に何度も足を運ぶまでになる。
 
そして、国内の他の地域に負けない立派な
「藍玉(染料)」を地元において作っていきたいという想いを強くする。
 
 
そんな中、彼は国技である相撲の「番付表」にヒントを得て
"番付表を作って武州の藍玉製造農家を格付けする"
とい名案を思い付いて「武州自慢鑑藍玉力競」というオリジナル番付表を実際に作り、
それを公表して当時の藍玉製造農家の競争心・向上心に火をつけた。
 
深谷市のWEB資料によると、実際にその番付表の硬貨はテキメンで、
番付表において高い地位にランク付けされて
栄誉ある地位を獲得すべく、当時の藍玉農家は真剣に頑張ったという。
 
ちなみに実際に農家同士が相撲を取るわけではないものの
公式的な資料によると渋沢は「行司役」なる役割を務めていた事も判明している。
(行司役として実際にどんな事を担当指定の課は判明していない)
 
 


 
 
なお、彼がこの番付表を作ったのは若干22歳の頃であり、
当時から彼が敏腕ビジネスマンを物語るエピソードと言えるだろう。
 
 
 

 

 

 
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