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ジャンポールゴルチエはオンワード樫山の支援により世界的デザイナーになれたデザイナー

 
 
2020年1月のパリ・オートクチュールをもって引退した
ジャン=ポール・ゴルチエ(Jean=Paul Gaultier)
は、押しも押されぬ世界最高ランクのデザイナーの一人で、
日本でも極めて高い知名度を誇る。
 
そんな彼は1952年にパリで誕生した生粋のパリっ子で、
10代後半だった1970年にピエール・カルダンのもとでキャリアをスタートさせた。
その後、ジャン・パトゥなどいくつかのメゾンで働いたのち、
1976年に自身の名を冠したブランドを立ち上げたが、
当時24歳くらいだった彼はお金持ちだったわけでもなく、
才能一本でブランド立ち上げまで漕ぎつげたが、資金面に大きな問題を抱えていた。
 
そして、なかなかブレイクできない中、3シーズン目を終えて資金が底をつき、絶体絶命の状態に
 
 
そんな中、樫山フランス(オンワード子会社)が経営していた
パリ有名セレクトショップ「バスストップ」にて
仕事を貰える事になり、なんとか資金面のピンチを乗り越える。
その後、オンワード樫山との密接な関係が始まり、
オンワード社の強力なバックアップを受けて事業規模を急速に伸ばし
1980年代に入ると早くもパリコレのトップデザイナーへと成長した。
 
またオンワードとの関係としては1981年にライセンス契約を結んだことで、
日本における人気もうなぎ登りで、1980年代の日本を席巻
(ライセンス契約は2006年まで長く続いた)
その他、オンワードによる若手デザイナー賞
「オンワード新人デザイナーファッション大賞」の審査員としても活動。
(毎年、レギュラーで審査員をしていたかどうかは今のところ定かではありません)
 
1990年代に入るとゴルチエブランドの人気はさらに上昇。
またゴルチエ本人は世界的ミュージシャンの衣装制作分野でも活躍し出す。
その中ではマドンナに提供した奇抜な衣装などが特に有名
 
 
1990年代後半にはプレタポルテに続いてオートクチュールライン
「ゴルチエ・パリ(Gaultier Paris)」を立ち上げ、
パリコレのオートクチュール部門にも進出。
 
2000年代半ばからはエルメスのデザイナーとしても約6年間活躍した。
 
その後、2010年代半ばにプレタポルテから撤退し、
そこから5年間はオートクチュール専門デザイナーとして活動したのち、2020年に引退したという歴史をもつ。
 
そんな世界のハイファッション史に残る偉大なゴルチエであるが、
もしキャリア初期にお金が尽きた際にオンワードが助けていなければ
デザイナーを引退してまったく別の仕事をしていたよう可能性もあるという意味で、オンワード社はまさにゴルチエの人生を大きく好転させた会社と言える。
 
 
 

 

 

 
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