パリコレモデル・新井貴子の父は偉大なプロ野球選手(新井宏昌/イチローの師匠)

 
 
ミス日本受賞を経て、2013年から国際的なモデル活動を
スタートさせた大阪出身の日本人モデル、新井貴子。
 
最初の数年間はなかなかパリコレ等で思うように活躍できない日々が
何年も続いたが、2017年に26歳でようやく世界的にブレイクし、
パリコレやミラコレ、NYコレクションで数々のトップメゾンのショーのランウェイを歩いてきた。
 
そして、2018年春にはTBS・MBS系の国民的ドキュメント番組
「情熱大陸」にも取り上げられて一気に知名度が高まる。
そんな彼女は、実は偉大なプロ野球選手の娘。
 
 
それは、1970年代半ばから1990年代前半まで、
パリーグの南海ホークス(現ソフトバンク・ホークス)や
近鉄バッファローズ(現在のオリックス・バッファローズ)で
短打系の強打者として活躍し続けた新井宏昌選手。
 
 
1952年生まれの新井宏昌は法政大学を経て南海に加入し、
2年目の1976年から同チームの主力選手として活躍。
ホームランの数は少ないもののアベレージが高いのが特徴で、
1979年には.358いう驚異的なシーズン打率を叩き出した
(この年は打率.366の加藤英司が首位打者を獲得し、新井氏はパリーグ2位)
 
1986年に近鉄に移籍してからはさらなる成長を遂げ、
1987年にはシーズン184安打を記録したほか
シーズン打率.366を記録し、2位のプーマ―を大きく引き離して首位打者を獲得
 
この4割近い驚異的なシーズン打率を記録した事で大きく評価を上げた
 
そして、1989年にパリーグにて近鉄バッファローズが
悲願のリーグ優勝を遂げた時もブライアントなどと共に主力選手として活躍。
 
現役ラストイヤーとなった1992年途中には2000本安打を達成し、
名球会入りの条件をクリアした。
 
 
引退翌年の1993年からはオリックス・ブルーウェーブにて
コーチとして働きだし、当時新人だったイチローのコーチとして大活躍。
現役時代の新井氏同様の4割近い打率を記録できる強打者へと育て上げた
 
 
 


[参考文献]
NPB公式サイト内の新井宏昌公式記録
http://npb.jp/bis/players/51153840.html
名球会公式サイト
https://meikyu-kai.org/player_directory/arai-hiromasa/
 
 
 

 

 
 
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