イネス(UNIQLOとコラボ)はどれほどすごいモデルだったのか?

 
2009年にスタートしたユニクロとジル・サンダー(世界的デザイナー)
とのコラボライン「+J(プラスジェイ)」は、ジル氏との協業がうまくいかず、
僅か2年ほどで終了してしまった。
 
一方、2014年頃にスタートした
モデル出身のイネス・ド・ラ・フレサンジュ(フランス人)との
コラボラインである
「ユニクロ×イネス・ド・ラ・フレサンジュ」
はユニクロとイネス側の連携がうまくいっているほか、
幅広い世代の女性層が受け入れられている事で長く続いている。
 
そんな中、コラボ相手であるイネスとは
一体どれくらいすごいモデルであったのか、疑問に思っている人が増えていると言われる。
 
 


 
 
1990年代最高のスーパモデルがシンディ・クロフォード、
もしくはクラウディア・シファーであったとしたら、
彼女はまさに1980年代におけるそのレベルのモデルで、
「1980年代最高のスーパーモデル」
と言える存在。
 
1957年にフランス国内にて名家の娘として生まれて18歳の頃にモデルに。
もともとは、どこのブランドとの契約もない
フリーのトップモデルであったが、
1983年にカール・ラガーフェルドが低迷中のCHANEL
のオートクチュール・プレタポルテ両部門のデザイナーとなると、
お気に入りモデルであるイネスとの専属契約を結び、
1984年からパリコレのショーにおいて、
1990年代のパリコレの「CHANEL」のショーでの
シンディーやクラウディア同様に、看板モデルとして大活躍していた。
 
1980年代後半にシャネルのモデルとして大活躍したが、
カール・ラガーフェルドとの軋轢などにより、1990年にモデルを引退。
 
 

 
 

 
 


 
 
 
その後、長い休養を経て1990年代後半には
自身の名を冠したブランドを立ち上げ、デザイナーとしてパリコレで活躍していた時期もあり。
 
引退後は基本的にランウェイモデルとしての活動はしていないものの、
2001年秋にはショーのオープニングのモデルとして
ミラノコレクション2002年春夏シーズンの「MOSCHINO」のショーに登場した。
 
 
モスキーノ2002SSコレクション
https://www.vogue.com/fashion-shows/spring-2002-ready-to-wear/moschino
 
 
 


 
 

カールとは仲直りした

 
カール・ラガーフェルドとのいざこざによって
モデル界を去ったと言われるイネスながら
時期こそ不明ながら、その後、盟友のカール・ラガーフェルドとは仲直り。
 
そして、2010年秋に開催された
パリコレ2011年春夏シーズンのショーにモデルとして特別出演した。
 
 
https://www.vogue.com/fashion-shows/spring-2011-ready-to-wear/chanel
 

 
 
 
 
 
 

 

 
 
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