山本寛斎は20代の頃「世界のかっこいい男10人」に選ばれた事がある

 
 
山本寛斎氏は、装苑賞を受賞した1960年代後半から
国内にてエネルギッシュに活躍してきた。
 
ただし、当時の彼の服装や髪型(当時はアフロヘア)は
あまりにも奇抜でアバンギャルドであったため、
日本では受け入れられる事はなく、冷たい目で見られていたようなところがある事を寛斎はよく語っている。
 
そんな中、日本を離れてイギリスのロンドン旅行に向かうと、
ロンドンでは日本とは対照的に彼の風貌が高い評価を受け、
現地の人々にたくさん声をかけられるほどの状態だった。
 
そんな中、あるカメラマンに写真を撮影された。
 
何気なく撮影に応じたもののしばらくすると、その写真が
アメリカの雑誌「LIFE」の
"世界一かっこいい男10人(アメリカでの現題は不明)"
という企画内で掲載され、仰天する。
 
この出来事を機に彼はロンドンで勝負する事を決意し、
1971年にスタイリスト・高橋靖子とのタッグでロンドンで
日本人として初めて大きなファッションショーを開催した。
 
このショーも大成功し、それがデヴィッド・ボウイの衣装デザイナーとして活躍する事などにつながっていく事になる。
 
 
 
 
 
 

 

 
 
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