パリコレのプレタポルテ部門は高田賢三らによる1971年の合同ショーが起源
世界最大のファッションショーイベントである
通称"パリコレクション"
(正式名はParis Fashion Week)
には
- オートクチュール(仕立服/主にレディース)部門
- プレタポルテ(レディース既製服)部門
- メンズ部門
といったように3つの部門が存在するが、
その中で圧倒的な注目度を誇るのが春と秋に開催されるプレタポルテ部門。
今ではパリコレの代名詞的な存在となっている
このプレタポルテ部門の起源には、日本の伝説的デザイナーが大きく関与している。
1970年前後の時期のパリにおいては、
まだオートクチュール全盛の中でプレタポルテ文化は根付いておらず、
"特定の時期に複数のデザイナーが同じ会場でショーを開催する"
という文化が存在していなかったと言われる。
1964年にフランスに渡って1965年から5年に渡る修行を積み、
1970年からデザイナーとして本格的なスタートを切った日本人・高田賢三は、
お金がない中で単独のショーを開催できる状態ではなかった。
そんな中、フランスの服飾系公共団体「サンディカ」側から
当時の若手新進デザイナーが集う合同ショー開催&傘下のオファーが届き、
1971年秋、
- KENZO
- DOROTHEE BIS
- シャンタル・トーマス
という若手3ブランドによる同会場開催の1972SSコレクションイベントが開催される事に。
この出来事が
"Fashion Week"
という、同時期にたくさんのデザイナーが近い場所でショーを集中開催する
(それによって世界中のメディアを集めやすくなる)
という概念につながり、
1973年あたりから、パリコレのプレタポルテ部門は年々成長。
1980年代に入るとオートクチュール部門を完全に凌駕する状態になり、
"パリコレと言えばプレタポルテ"
という状況になり、メディアでの取り上げられ方も、
一部の人々を対象とするオートクチュール部門より遥かに大きくなっていった。
1980年前後には、このプレタポルテ部門に習った
- ミラノコレクション(Milan Fashion Week)
- ロンドンコレクション(London Fashion Week)
というプレタポルテ系ショーイベントもスタートし、
1985年には、海外メディアをたくさん呼ぶ事を目的として
東京コレクション(Tokyo Fashion Week)もスタートし、
"Fashion Week"
という文化は熟成されていった。
NYコレクションに関しては、
1990年代頃まで短期集中型ではなかったため、
世界中からマスコミが集めづらい状況にあったが、
パリやミラノ・ロンドンに習って明確な会期を決める事となり、
"9日間開催"
というフォーマットが完成した。
(近年は、さらに短縮されて5日から6日に)
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