渋沢栄一が設立した/関与した繊維・アパレル系企業一覧

 
近代日本を作った人物と言われる経済人・渋沢栄一は、
90年以上にわたる人生の中で約500の企業の設立に関与してきたと言われる。
 
ジャンル的には銀行・証券取引所をはじめとする金融系、
また鉄道業者をはじめとする陸運/海運系企業が中心ながら、
実家が

  • 養蚕業(絹関連事業)
  • 藍玉製造事業(藍染め関連事業)

を営んでいたゆかりもあり、
多数の繊維系企業の設立にもかかわってきた。
 
 
その事実は新1万円札に肖像画が描かれる事が決まってから
少しずつ世間で認知されてきているものの、
具体的にはどんな繊維業者の設立に関わっているのかは、あまり知られていない状態。
 
そんな中、渋沢栄一記念財団公式サイトの資料をもとに、
彼が設立に蚊かをっている主な繊維会社、
そしてアパレル・ファッション分野の会社をまとめてみました。
 
 
 


 
 

渋沢栄一関連の主な繊維系会社・官営施設

 
 

富岡製糸場

当時の日本の大きな輸出物である生糸(絹糸)を大量生産するために企画された官営工場。栄一が大蔵省に勤めていた頃、実家が養蚕業者でシルクの知識に強い事を買われて「設置主任」の1人に任命され、工場建設に大きく貢献。民営化&操業停止となったのち、2014年には世界遺産に登録された

東洋紡(株)

日本を代表する繊維会社。昔、バレーボール部が強かった事でも有名で大林素子などが主力選手として活躍していた。1914年に大阪紡績と三重紡績(両社とも栄一が設立)が合併して東洋紡績(株)に。2012年に東洋紡績から東洋紡へと商号変更。

ダイワボウHD

東洋紡と並ぶ国内有数の繊維会社。1941年に4つの会社が合併して大和紡績となるが、その4つの会社のうち、日出紡績は渋沢栄一の甥っ子が設立した会社で、栄一はその会社の発起人の1人で会社の発展に尽力。大和紡績はその後、2009年にダイワボウ・ホールディングへと姿を変えた

鐘紡/カネボウ

1887年に東京綿商社として設立され、翌年に鐘淵紡績会社へと商号変更(栄一はその会社の顧問)。1971年には社名から紡績が除外されて"鐘紡(株)"へと改称。さらには2001年にカネボウというカタカナ表記の会社に。その会社は2007年に解散し、現在のカネボウは化粧品会社へと転換。

京都織物(株)

1886年に設立。栄一はその会社の設立を企画。1968年に会社は解散。ただし解散前にレース事業は他の会社(日本レース株式会社)に引き継がれ、その会社はエコナックHDとして存在するが、その会社は2020年3月に繊維事業から撤退。現在は不動産事業や温浴事業といった全く事業を展開する

帝国蚕糸(株)

1915年に立ち上げられた会社で栄一は相談役。一時期解散し、1926年に帝国蚕糸倉庫(株)として再スタート。現在は「帝蚕倉庫」という社名となっており、絹糸とはまったく無関係

帝国繊維(株)/テイセン

この会社の源流となる帝国繊麻(株)の相談役を務めていた。さらには帝国繊麻の源流となる4つの地方会社にも相談役や株主として関与

ダイトウボウ(株)

日本初の毛織会社。栄一は、1896年に設立された前身企業である東京モスリン紡績(株)の株主。その後同社は大東紡績へと社名を変更。2016年にはダイトウボウ(株)というカタカナ表記の社名に。連結売上高は約50億円

東京毛織物(株)

1906年設立で、栄一はこの会社の相談役。その後、この会社は複雑な歴史を辿り、事業は鐘淵紡績や東洋紡績へと継承された。この会社は減算しない。

 
 

渋沢栄一関連の主なアパレル/ファッション系企業

 

日本制帽会社

日本初の制帽会社。帽子をかぶっている洋装写真もよく見かける渋沢栄一。明治時代に入って洋装化が進む日本において、西洋風の帽子はフランスやイギリスといった西洋強国からの高額な輸入品ばかりであった。そんな中、外国へと富が流出させなたいため、そして国内の制帽技術を高めて帽子の国産化を進めるために1889年、他者と共同で「日本制帽会社」を設立。数年後に解散して東京帽子(株)として再スタートを切り、栄一はその新会社の取締役会長へと就任。昭和時代には天皇陛下に帽子を献上するまでの会社となった。その後、東京帽子はオーベクス株式会社へと商号変更。そのオーベクス社は繊維業から発展して筆記具関連業者へと転換し、現在は帽子作りとは無関係。ただし、1993年に帽子事業を受け就いたオーロラ株式会社は2021年時点でも帽子や傘といった繊維製品を製造・販売する会社として存在

リーガル・コーポレーション(株)

REGALブランドで有名な革靴製造会社。この会社の源流となる様々に会社に栄一は関わっている。

(株)ニッピ

現在はコラーゲン事業が中心のこの会社。もともとの会社名は日本皮革(株)て1907年に立ち上げられてから1974年まで67年に渡ってこの会社名であった。栄一はこの日本皮革の前身会社に関与。なお、コラーゲン事業中心ながら2021年時点での皮革製品事業を続けており、革靴や革製バッグ(袋)などの製品を製造・販売している

 

 

 
 
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