マノロ・ブラニクは元国連スタッフ
スペイン領カナリア諸島出身のマノロ・ブラニク(Manolo Blanik/1942年生まれ)は、
- クリスチャン・ルブタン
- ジミー・チュウ
などと並び、世界最高峰の靴デザイナーの1人として有名。
世界中のセレブ女性達に愛用されていて、
日本の女性達の間でも極めて高い人気を誇る。
そんな彼には、意外な職歴があった。
カナリア諸島で過ごした少年時代から
トカゲに靴を作ってあげるようなデザイン好きの少年で、
そのエピソードは彼に関する映画の副題にもなったが、
学生時代を経て、いきなりデザイナーの道を歩み始めたわけではない。
秀才の彼はカナリア諸島を離れてスイスの名門・ジュネーブ大学入りし、
ファッションではなく文学や建築を学ぶ。
ジュネーブとは国連とのゆかりが深い都市であり、
そんな地域に学ぶ彼に対して両親は国連(国際連合)で働く事を希望しており、
その要求に応えて夏休みは国連にてインターンとして働く生活をしていた。
しかし、国連での勤務は極めて退屈であったらしく、嫌気がさしていた模様。
そんな人生に迷走していた時期に
世界的な雑誌編集者のダイアナ・ヴリーランド(から靴のデザイナーになる事を勧められ、
その言葉を信じて、シューズデザイナーとしてのキャリアをロンドンでスタート。
そして、1980年代頃からハイファッションデザイナーご用達の
シューズブランド/デザイナーへと成長し、
1990年代以降、世界最高峰のハイヒールブランドに数えられるようになったほか、
マノロ本人も世界最高峰のシューズデザイナーとして扱われる事になった。
そんな彼がインターンとは言え、ジュネーブの国連関連機関でかつて働いていたという事実はあまり知られていない。
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