高田賢三(KENZO創業者)の人生/生涯を手短に知りたい

 
KENZOというパリのブランドは、
高田賢三という名前の日本人が創業者であるため、
ブランド名が「KENZO」であるという事は若者の間でもよく知られています。
 
ただ、その高田賢三とはどんな人物なのか・
どんな人生を歩んできたのか、知らない人が多いと言われるため、
高田氏のこれまでの生涯を簡潔にご紹介します。
 
 


 
 

1939年

2月に兵庫県の姫路市で誕生。近隣に劇場がある宝塚歌劇団を愛する少年だった

1950年代

地元の大学に通っていた中、東京の文化服装学院が男子生徒の受け入れを開始した事を知り、大学を中退して上京し、文化服装学院に入学。同期はコシノジュンコ・松田光弘などツワモノ揃いであった

1960年代

1961年:ライバルのジュンコに先を越されたものの、若手デザイナーの登竜門「装苑賞」を受賞

1964年:社会人として勤務していたがパリに対する憧れが強くなり、松田光弘と共に半年の予定で渡仏

1965年:現地でパリの凄さを知るうちに「残りたい」という思いに駆られ、日本に帰国する事なく現地での修行を開始した

1970年代

1970年:5年の下積みを経てパリに「JUNGLE JAP」という自身の店をオープン

1973年:「KENZO」ブランドにてパリコレのプレタポルテ部門にデビュー

1970年代後半:シーズン毎に評価が高まり、サンローランなどと並ぶパリのトップデザイナーへと駆け上がる

1980年代

年代を通じて、さらにデザイナーとしての評価が高まり、プレタポルテの世界における世界最高ランクのデザイナーの一人に数えられるまでになった

1990年代

1993年:ビジネスパートナーを失った中で経営が傾き、ベルナール・アルノー率いるLVMHグループに「KENZO」ブランドを買収される。(ただしデザイナーの座には留まる)

1999年:この年の秋に開催された2000SSシーズンのパリコレをもってKENZOデザイナーを退任。30年に及ぶパリモード界でのキャリアに終止符を打った

2000年代以降

画家・デザイナーなどとして国内外で活動

 
三宅一生氏や森英恵氏と並ぶ、国際的日本人デザイナーのパイオニア。
 
 
 
 

 

 
 
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