中島篤はゴルチエが極めて高い評価をする注目デザイナー

 
 
1970年代にはパリにおいて、
高田賢三・三宅一生・森英恵などの世界的デザイナーが誕生。
1980年代にも川久保玲・山本耀司という世界最高ランクのデザイナーが誕生したが、日本の業界内ではそれに続く存在が長く登場しない事が大きく問題視されてきた。
 
そんな中、2010年代に入り、阿部千登勢(sacai)という
世界的なデザイナーがようやく誕生し、国内の業界人は胸をなでおろしたと言われる。
 
そして、阿部千登勢に続いて一体誰が世界的に成功するのか
至るところで話題になっているが、候補に挙がっているのが
ミラノコレクションに参加する「ATSUSHI NAKASHIMA」の中島篤氏
 
 


 
 
名古屋の専門学校を卒業したのち某企業で働いた彼は、在籍時に
「オンワード新人デザイナーファッション大賞」
(現在のTokyo新人デザイナーファッション大賞)
という装苑賞と並ぶ規模の国内最大級の若手向け賞にエントリー。
 
すると、この栄誉ある賞にてグランプリを受賞したほか、
この大会の審査員だった世界最高ランクのデザイナー、
ジャン・ポールゴルチエ
(ゴルチエ氏は1970年代後半から日本のオンワード社と密接なつながりがある)
から直接のオファーを受け、2004年にフランスへ渡り、
そこからゴルチエ氏直属のアシスタントとして彼のそばで働きだした。
 
その後、一時滞在資金に困って日本への帰国を余儀なくされそうになったが、
ゴルチエ氏側が中島氏の就労ビザ取得を行ってくれて状況が改善し、
ゴルチエ氏のアトリエ内でより高いポジションにて活躍し始める。
 
アトリエの重要なスタッフとして約5年間働いたのち、
今度はゴルチエ氏からディフュージョンラインのデザイナーになってほしい
というオファーを貰い、2009年からはゴルチエのディフュージョンのヘッドデザイナーとして活躍
 
そういった貴重な経験を積んだのち、
2011年に帰国して「ATSUSHI NAKASHIMA」を立ち上げ、
2012年春に東京コレクションにデビュー。
 
そして、2015年にはミラノコレクションデビューを果たした
2020年代における更なる躍進が見込まれている。
 
 
 
 


 
ちなみに、彼の事を極めて高く評価するゴルチエ氏は
2020年にデザイナーを引退して
今後はゲストデザイナーを呼んでブランドを継続させていく方針を発表。
その第一弾のゲストとしてゴルチエ氏が世界中の中から選んだのが
sacaiの阿部千登勢氏で、今後は中島氏がゲストデザイナーに選抜されるような可能性もあり。
(この文章は2020年時点に書いています)
 
 
 
 
 

 

 
 
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