ミウッチャ・プラダはもともとパントマイム役者を目指していた

 
 
PRADAを長く率いてきた功労者、
ミウッチャ・プラダのキャリアに関する意外な過去を紹介。
 
プラダ創業者の孫として1949年に誕生。
 
高校を卒業するとミラク大学に進学し、政治学を専攻。
 
しかし、大学を卒業すると彼女政治の道に進むでもなく、
すぐに家業を手伝い始める事もなく、意外な道に進んだ。
(政治家にはならなかったが、当時の政党に入党した事実はある模様)
 
 


 
 
 
それはパントマイム役者という道で、
言い換えると紛れもなく「芸人」に該当する存在。
 
様々なインタビューなどを差卒業すると、
パントマイムパフォーマーを目指して
ミラノのピッコロ座という劇場にて短期間ではなく
5年に渡ってパントマイムの修行を積んでいた事が判明している。
(並行して、デモに参加するなど、この頃でもまだ政治の道も捨てていなかった)
 
しかし、結局プロのパントマイム役者となる事はなく、
また政治の道に進む事も諦め、
祖父亡き後プラダを率いていたミウッチャの母から
「会社(プラダ)を助けてほしい」
と懇願され、20代後半であった1978年頃に家業に入る。
 
そして、その頃に出会って結婚した夫と共に
祖父譲りの経営能力と創作の才能を武器として、
2代目になってから不振にあえいでいたプラダをV字回復させたほか、
1990年代に立ち上げたセカンドライン「ミュウミュウ」のデザイナーとしても大活躍。
 
21世紀に入ってからも敏腕ぶりをいかんなく発揮してきた。
 
 
かつての芸能の世界を目指していた事が関係しているかは不明ながら
グッチ同様にプラダとミュウミュウのショー開催にはかなり力を入れてきた歴史をもち、
決してショーを小規模に開催したりするような事はない。
 
両ブランドともそれぞれミラノコレクション、
パリコレクションのショーの中で最も盛大に開催され、
会場には世界中のセレブがたくさん招待している。
 
 
 
 
 
 

 

 
 
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