ピエール・カルダンはオートクチュール協会から除名(追放)されていた時期がある

 
 
イタリア生まれ・フランス育ちの男性デザイナー、
ピエール・カルダンは、日本の高田賢三やイヴ・サンローランと並び、
プレタポルテの普及に大きく役立った功労者として有名。
 
 
富裕層向けのオートクチュール(高級仕立服)全盛期である1959年、
フランスのオートクチュール協会のメンバーの中で
はじめて「モードの民主化」を目指して
安くて幅広いレディースのプレタポルテ(既製服)のコレクションを発表した。
 
さらに翌年にはメンズのプレタポルテにまで進出。
 
また、モデルの多様化にも積極的で、
現地の白人だけでなく1960年前後から
アジア人や黒人のモデルも積極的に起用して世界中のモデルが
平等に活躍できる場を作った人物としても知られる。
 
そんなフランスを代表するデザイナーのカルダン氏は、
 
当時のそうそうたるデザイナーが加盟していた
フランス協会から除名(追放/Expulsion)されてしまっていた時期がある。
 
 
 
 


 
 
それは何故かというと、
革新的すぎるカルダン氏の行動が
古い考えをもつオートクチュール系デザイナー達には受け入れられず、
反感を買てしまったから。
(オートクチュール協会のメンバーなのに対極的なプレタポルテビジネスを推進するのはおかしい、という事)
 
 
しかし、永久追放されたわけではない中で
数年後には協会に復帰し、その後は同協会の会長として活躍。
 
 
1970年代後半には、NYでの活躍を経て
パリで本格的な活動をしようと思っていた森英恵の
オートクチュール協会入りを推薦した人物とも言われている。
 
 
 
 

 

 

 
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