イッセイミヤケ出身の主なデザイナーが知りたい

 
 
1970年代前半に三宅一生氏が立ち上げた世界的ブランド
「ISSEY MIYAKE」は後進の育成にも積極的で
三宅氏が現役の頃からメンズ部門を滝沢直己さんに任せるなど、
積極的な若手登用を行ってきました。
 
そして、独立して活躍しているデザイナーがたくさん存在します。
そんな人たちの中から主な人物をご紹介します。
 


 

小野塚秋良

1974年に創立したばかりの三宅デザイン事務所入りし、グループ内の主要スタッフとして長く活躍。その後独立し、1990年から20年間に渡り「ZUCCA」のデザイナーとしてパリコレで活躍。

津森千里

1976年に文化服装学院を卒業したのち、イッセイミヤケインターナショナル入り。そして「ISSEY SPORTS(のちのIS.chisato tsumori design)」デザイナーとして活躍。その後、独立して「TSUMORI CHISATO」を立ち上げ、2000年代前半にパリコレデビュー

藤田恭一

桑沢デザイン研究所を経てイッセイミヤケ入りし「IS」デザイナーなどとして活躍。退社後、「KYOICHI FUJITA」デザイナーとして東京コレクションで活躍

津村耕佑

1983年に三宅デザイン事務所入り。その後、自身のブランドでのパリコレ参加などを経てエイネットから「FINAL HOME」を立ち上げた。

滝沢直己

桑沢デザイン研究所を卒業したのち1982年に三宅デザイン事務所入り。1989年にコレクションのスタッフとなり、1993年からはISSEY MIYAKEメンズの2代目デザイナー、三宅氏が引退した1999年以降はレディースの2代目デザイナーにも就任。

藤原大

イッセイミヤケの3代目デザイナー。2000年代後半から5年間活動したのち退任。

大矢寛朗

文化服装学院を卒業して三宅デザイン事務所入りし、イッセイミヤケのスタッフとして活躍。独立後に「OHYA」というブランドを設立して一時期はパリコレでも活躍した

泉克宜

文化服装学院を経て1991年にイッセイミヤケ入り。パタンナーとして活躍したのち独立し、「GAUCHE」というブランドを通じて東京コレクションで活躍。

桑原直

1989年に三宅デザイン事務所入りし、「I.S.」デザイナーとして活躍。その後、エイネット社から「sunaokuwahara」をデビューさせる

高島一精

文化服装学院を卒業したのち、1996年にイッセイミヤケ入り。同社で経験を積んだのちエイネットから「Ne-net」というブランドを立ち上げた。

池内啓太

多摩美術大学を経てISSEY MIYAKE MENのスタッフとして活動。その後、森美穂子と共に「and wander」とブランドを創設

森美穂子

エスモードジャポン東京校を経てISSEY MIYAKEのスタッフとして活動。2010年に同じくISSEYスタッフであった池内啓太と共に「and wander」を立ち上げた

廣川玉枝

SOMARTAデザイナー。文化服装学院を出てからイッセイミヤケでニットデザイナーとして活動。8年間スタッフとして勤務したのち、自身のブランド設立

森川拓野

文化服装学院を経てイッセイミヤケ入り。その後独立して自身のブランド「TAAKK」を設立し、国際的に活躍

高橋悠介

装苑賞を受賞したのちイッセイミヤケ入りしてから、2010年代に若くしてISSEY MIYEKE MENのデザイナーとしてパリコレで活躍。2019年に退任したのち、ニュース記事によると2020年2月に退社。

黒河内真衣子

文化服装学院を経て、三宅デザイン事務所入り。A-POC事業などに従事。独立後「mame」を立ち上げて2010年代後半にパリコレデビュー。

池内啓太/森美穂

and wanderというブランドのデザイナーデュオ。池内氏はイッセイのメンズ部門。森氏はレディース部門の元スタッフ

Tan Yun Szu

台湾出身。大学卒業後に来日して専門学校で学んだのち三宅デザイン事務所入り。独立して2020年に自身のブランドを創設

 
 
 
文化服装学院を経て、イッセイミヤケグループのいずれかの会社に入るパターンが多いのが目立ちます。
 
 


 
 
 
[専門用語]
エイネット=イッセイミヤケグループ会社 
 
 
[参考文献]
各デザイナーの公式サイト内のプロフィール
 
 

 

 
 
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