森英恵は生前のココ・シャネルに会った事がある
学生結婚したのち、
主婦として生活する中で何か自分でやりたいと感じはじめた中、
1951年に新宿に「ひよしや」という店をオープンして
アパレル業界に飛び込んだ森英恵氏。
その後、次々に日本映画関連の仕事が舞い込むようになり、
1950年代は衣装制作の仕事で忙しい生活をおくっていた。
しかし、あまりにも多忙すぎ精神的に限界が来てしまう。
そんな中休養を取る事を決め、
1961年のはじめにパリコレモデルとして現地で活躍していた
松本弘子氏の誘いで、リフレッシュのためにパリ旅行をする事に。
ピエール・カルダン専属モデルの松本氏は
モデル業で忙しく過ごす中、英恵氏はパリを観光する中で、
現地でシャネルのショーを生で見て大きな刺激を受けたことをきっかけに、
1910年にガブリエル・ココ・シャネルが創業した伝説のブランド、
「CHANEL」
にて有名なシャネルスーツ(オートクチュール商品)を仕立ててもらう事になった。
フィッティングの作業は店のスタッフ達によって行われたが、
店内には亡くなる直前のココ・シャネルも滞在しており、
チラチラとココの姿を見かけていた。
(直接話したかどうかは定かではないものの、ココ・シャネルが森英恵に対して好印象を持っていた事は、当時のスタッフの話により明らかになっている)
"日いずる国"から来たという事で、
ココやスタッフからオレンジ色の生地を勧められた英恵はそれを受け入れ、
数回の試着を経験したのち、
完成した世界でたった一つのオレンジ色のシャネルスーツの完成度に大きな感銘を受ける。
その事などが大きなきっかけとなって海外で活動する事を決め、
1965年から約10年間に渡ってNYで活動したのち、
1970年代後半にはパリコレに進出し、
世界のトップデザイナーの一人に数えられるまでになった。
そういった意味で、ココ・シャネルは森英恵の人生を大きく変えた(動かした)人物と言われる。
森英恵が「シャネル(CHANEL)」のサロンを訪れると「日本は日出づる太陽の国、だからオレンジがよいのではないかしら。黒髪にも合うと思う」とサロンで働くマダムを通してココ・シャネルに言われたそうですhttps://t.co/86Ek2ea0Pk
— WWD JAPAN (@wwd_jp) April 27, 2020
[情報ソース]
この話はとても有名な話で、森英恵さんご本人がこれまで様々なインタビュー番組などで繰り返し話してきた情報をまとめました。
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