日本最古の製帽会社は渋沢栄一(シルクハット姿で有名)によって設立された

 
 
2024年度から「新10,000円札」に顔が入る事となった日本の偉人、
渋沢栄一は日本における話題の人物。
 
この渋沢栄一とは一体どんな偉人であるのか、
まだまだ知られていない部分は多いものの、とりあえず
「明治・対象時代にたくさんの会社を作った」
という事は、なんとなく認知されてきた傾向。
 
そんな渋沢氏は幅広い分野の会社の設立に携わってきたが、
日本最古の制帽会社の設立にも深くかかわっている。
(渋沢栄一と言えば、江戸時代を生きた若い頃はちょんまげ姿だったものの、
一般的にはシルクハットをかぶった明治時代以降の洋装の写真が有名)
 
 


 
 
その会社とは、
現在は事業転換してサインペン先のパーツ製造などの事業を展開する
「オーベクス株式会社」
の事。
 
会社HPの事業領域を参考にすると
今は帽子作りをまったく行っていない同社ながら、
もともとは純粋な帽子作りの会社であった。
 
 
 
江戸時代が終わって明治時代に入り、
服装の洋装化が一気に進む中において「帽子」という商品は
フランスやイギリスといった西洋強国から輸入された高額品ばかりの状態であった。
 
そんな中、国内で帽子を製造・供給する事ができれば
西洋国に輸入に関連したお金が渡らないで済むほか
国内の工業の技術レベルも向上するという想いから、
渋沢栄一らが出資をして明治22年(1889年)に
日本最古の帽子作り専業企業
「日本制帽会社」を東京都心に設立
そして、海外から技術者を招いて事業を開始。
 
その会社に関しては、工場の火災などにより事業がなかなか軌道に乗らなかった。
そんな中、渋沢氏による再建がスタートし、
一度会社を解散させて3年後の明治25年に
「東京帽子株式会社」という新会社を新たに設立し、
渋沢栄一はその新会社の取締役会長という役職に就任
 
 
 


 
 
大正時代あたりまで色々な苦労があった東京帽子株式会社ながら
昭和時代に入ると事業が軌道に乗り、
昭和天皇に中折れ帽子を献上するまでの存在になった。
(陛下はその後、帽子を長く愛用)
 
1950年代以降は事業が多角化して純粋な制帽会社ではなくなり、
1960年代に入ると、それまでに培ってきた繊維関連事業を活かして
「ペン先」へと極めて大きな事業転換をし、筆記具関連の会社に
 
 
そして、1985年には渋沢栄一もしくはその周辺人物が決めた社名
「東京帽子株式会社」から「オーベクス株式会社」へと商号を変更。
 
 


 
そんなオーベックス社は2000年代に入ってもアパレル部門を保有していたが、
2007年にアパレル部門を外部企業に譲渡してアパレル事業から完全に撤退し現在に至る。
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
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