森英恵のパリコレ進出のきっかけはグレース・ケリー
国際的日本人デザイナーの草分け的存在である
森英恵(Hanae Mori)氏は、1950年代に日本映画の衣装制作で活躍。
その後、パリでココ・シャネルとそのスタッフ達に
シャネルスーツを作ってもらった事や
NY旅行をした際に日本製品が粗末に扱われる事などを知った事で、
まずはNYで活躍する事を目指し始め、
1965年にNYコレクションで大きなショーを開催して以来、
アメリカでファッションビジネスに取り組み、現地で偉大な存在へと成長した。
一方で、欧州圏では無名であった側面をもつ。
そんな中、アメリカの出身の女性で、
1950年代にアカデミー賞の主演女優賞を獲得するほど女優として活躍していた
モナコ公国のグレース・ケリー王妃(1956年に結婚して王妃となる)
から「モナコでショーを開催しないか」という話をもらい、
快諾して欧州最大級の高級リゾート地であるモナコでのショーを開催。
そのショーの帰りに直接日本に帰るのではなく、
高級ファッションの本場・パリでもショーを開催する事に。
このパリでのショーをきっかけとして
次はNYではなくパリで仕事がしてみたいと思うようになり、
コネがあったデザイナーの尽力などにより、
パリのオートクチュール組合に加入する事に成功。
そして、1977年から2004年まで
東洋人屈指のデザイナーとしてパリコレにて25年間以上活躍し続けた。
1975年のグレース・ケリー(Grace Kelly)からのオファーがなければ
森英恵氏の人生は大きく変わっていたかもしれず、
エルメスのバッグ「KELLY」の呼称由来であるグレース・ケリーは彼女にとって大きな存在。
[情報ソース]
ハナエモリ公式サイト情報(https://www.hanae-mori.com)のほか、
これまで森英恵さんご本人が何度も様々なメディアでお話しになってきた本人情報をまとめたものです。
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