高田賢三と島田順子は若い頃にパリで同じ会社の同僚だった

 
森英恵は1950年代に日本映画の衣装デザイナーとして活躍したのち、
ニューヨークにおいて国際的デザイナーとして活動しはじめた人物で、
彼女がパリに進出してくるのは1970年代後半の事。
 
そんな中、パリにおける国際的日本人デザイナーの先駆けというと、
 

  • 三宅一生
  • 吉田ヒロミ
  • 高田賢三
  • 島田順子

 
このあたりの人物の名前が挙がってくる傾向。
 
そのうち、吉田ヒロミはジバンシィにはじめて入社したという経歴で有名。
また、三宅一生も吉田ヒロミに続いてジバンシィ入りし、
創業者のもとで修業を積んだほか、
ギ・炉ラッシュという名門で働いていた時期があるという輝かしい経歴をもつ。
 
一方、194年に船でパリに渡った高田賢三、
1966年に旅行きっかけでパリで活動しはじめた島田順子については
初期キャリアが地味すぎて世間には経歴が伝わっていない。
 
そんな2人は、実はパリで同じ会社の同僚だった。
 
 


 
 
島田順子氏の取材での発言を参考にすると、
1966年に旅行でパリを訪れた島田氏は、
パリに渡ったのち「レラシオン・テキスタイル」という会社で
働いていた2つ年上の日本人・高田賢三に会いに行った。
 
パリにて働きたい灯っていた島田氏は
その会社にて高田賢三に自らが描いたデザイン画を見せたところ、
賢三やその会社のオーナーに圧倒的な才能の高さを見抜かれ、
その会社がデザイナーを探しているという状況の中で
スタッフとして採用される。
 
その後、高田氏と共にしばらく
「レラシオン・テキスタイル」
にて同僚として活動した島田氏は1968年、
パリの百貨店「プランタン」のスタッフになったほか、
1970年代後半にはキャシャレルのチーフデザイナーとして活躍。
 
1970年代前半からパリのトップデザイナーとして活躍し出した賢三氏に続き、
1981年からは自身の名を冠した
「JUNKO SHIMADA」のデザイナーとして高田氏と共にパリコレにて大活躍してきたという歴史をもつ。
 
 
 

 

 

 
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