イヴサンローランとトム・フォード(後任者)の間には激しい確執があった

 
 
 
Yves Saint Laurentの創業者であるイヴサンローラン氏と、
同ブランドのプレタポルテ部門元デザイナーとして有名な
トム・フォードの間柄に関する話。
 
 
 


 
 
イヴサンローランと言えばピエール・カルダンや高田賢三と並んで
オートクチュールより手が届きやすいプレタポルテの発展に大きく寄与した人物として有名。
 
しかし、自身が1996年に還暦を迎えた中で、
プレタポルテ部門から離れてオートクチュールビジネスに専念する事に。
 
そんな中、同じく北アフリカ地域出身で
1996年からはギ・ラロッシュのデザイナーとして活躍していた
アルベール・エルバスという当時30代半ばの若手デザイナーの事を
強く気に入って彼をプレタポルテ部門(リヴ・ゴーシュ)の
2代目デザイナーに直接指名する。
 
そうして1999年に若くしてアルベール・エルバスは
世界性最高のブランドの一つであイヴサンローランの
プレタポルテ・デザイナーとして活動しはじめたが、
当時の世界的なブランド買収合戦の中でサンローラン社は
イタリアのGUCCIブランドの傘下に入る事となり、
エルバスはわずかな期間でサンローランを去り、
GUCCIのデザイナーとして同ブランドのV字回復を演出してきた
アメリカ人のトム・フォードが
イヴサンローラン・リヴゴ―ジュ(プレタポルテラインにのブランド名)
の新たなデザイナー(クリエイティブ・ディレクター)に就任する事となった。
 
 


 
GUCCIグループから送り込まれてきたトム・フォードは
サンローランのデザイナーとなってから、
同時期にオートクチュール部門のデザイナーとして活動を継続していた
創業者のイヴ氏と共に活躍していたが、
そのイヴ氏は、トム・フォードの感性や時針とは異なる作風を決して受け入れる事はなかった。
 
 
オートクチュール部門のデザイナー
プレタポルテ部門のデザイナー
が激しく対立するような事例はあまり聞かれないが、
2004年にトム・フォードがサンローランを離脱するまで
創業者による強烈なトム・フォード批判は続き、
離脱が蹴ってすると「彼には才能がなかった」など痛烈なコメントを寄せ、
この激しい確執は、醜聞を好む人々の間で大きな話題となった。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
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