"パンクの女王"ことヴィヴィアン・ウエストウッドは元小学校教師
英国の世界的なデザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッド(1941年生)は、
日本の川久保玲同様に反逆的な思想の持ち主、
または極めて反骨心の強い人物として有名。
そんな彼女の作る作品は、若者の反骨心などが絡んだ
パンクロックという音楽ジャンルを愛する若者達から愛されてきた歴史をもち、
デザイナー本人もパンクロックミュージシャン的な服装をしているため、
"パンクの女王"
と称されてきた。
ただ邪悪な心の持ち主というわけではなく、
実は心優しい心の持ち主とも言われる彼女は若い頃、ある意外な仕事からキャリアをスタートさせた。
それは小学校の教師(小学校教諭)。
階級社会であるほか女性の地位が低かったイギリスにおいて
ヴィヴィアンが学校を出た1950年代当時、
家事手伝いとして毎日を過ごす気がない女性が就ける職業の選択肢は限られていたと言われる。
そんな少ない選択肢の中から、まず秘書の仕事をする事にして実際に働き始めた。
しかし自身が秘書の仕事に向いていないと感じた彼女は次の仕事を探し始め、
英国内の教師育成学校を経て美術教師に。
そして、小さい子供達を相手として美術教師として働くようになった。
教員生活はそんなに長くはなく、妊娠と共に退職したため2年ほどであったとされるが、
(1940年から1942年頃で、20歳前後の頃)
その美術教師時代に趣味で自分が校内で着用する服を自分で制作する、
という事からデザイン活動をスタート。
その後、離婚を経てマルコム・マクラーレンという男性と出会った彼女は、
彼と共にセックス・ピストルズというパンクバンドのために
尽力するようになり、服飾専門学校で学ぶ事なく独学で世界的なファッションデザイナーへと成長していった。
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