女優・宮沢りえはもともと山口小夜子のようなスーパーモデルを目指していた
 
 
宮沢りえと言えば、中学生だった1987年に
「三井のリハウス」のCMでタレントとしてブレイクしたのち、
翌1988年公開の女優デビュー作
「ぼくらの七日間戦争」
という映画も大ヒットして一躍タレント・若手女優として脚光を浴びた。
 
そのため、世間的には「モデル(ファッションモデル)」
という側面については殆ど知られていないものの、
モデルとしてデビューし、もともとは世界的なスーパーモデルになる事を目指していたという話。
 
 


 
 
宮沢りえが表舞台にデビューしたのは、
小学校高学年だった11歳の頃。
 
年代的には1980年代前半にあたるが、
その頃には、身長170cmに満たない日本人モデルが
国内の広告分野で活躍するほか、
パリコレのトップモデルとしても大活躍していた。
 
その名は山口小夜子。
 
 
10歳の頃にテレビCMを通じて山口小夜子という女性をみた彼女は、
その圧倒的な美しさに強く惹かれ、「モデル」という仕事に興味を持つようになった。
 
そして、11歳の頃に芸能界デビューすると、
まずは「セブンティーン」の表紙モデルなどとして活動。
 
その後は、山口小夜子のようにキャリアを歩む事を目指していた。
 
しかし、"絶世の美しさ"をもつとされる小夜子同様に
"絶世の美少女"と称されたりえの事を芸能界が放っておくしいはずはなく、
ブレイクのきっかけとなった「三井のリハウス」をはじめとしたCMオファー、
タレント・女優としてのオファーが殺到し、
もともとは女優・タレント業に興味をもてなかったものの、
オファーを引き受けるうちに完全にタレント・女優になってしまい、
モデルとしてのキャリアには実質的な終止符が打たれた。
(若い女性向けファッション誌の表紙モデルとしての活動はあり)
 
 


 
 
ちなみに1991年には「サンタフェ」という写真集が大ヒットしたが、
どうして彼女が一糸まとわぬ姿を披露する事に抵抗がなかったのかというと、
それは好きな海外の雑誌に自身が好きなトップモデルの
一糸まとわぬ芸術的な写真が当たり前のように掲載されていて、
同性ながらそういった写真に美しさを感じていたからだという。
 
 
 
 
 

 

 
 
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