高田賢三には男女両方のパートナー/恋人が存在していた
世界的に活躍するレディース服系のデザイナーには、
ゲイまたはバイセクシャルの人が多いのは有名な話。
そこには、男性的な感覚ではなく女性的な感覚も持ち合わせていないと
女性から受け入れられるレディース服を作り上げるのはなかなか難しいという事が関連している。
成功した日本人男性デザイナーの中には、
完全に女性だけを愛する人もいれば、
ゲイ(同性愛者)の人・バイセクシャル(両性愛者)もいる。
そんな中、日本人デザイナーとしてはじめて
パリで成功した高田賢三に関しては、
自らがバイセクシャルである事を明かしてきた。
彼には、カール・ラガーフェルド(ゲイ)を通じて出会った
グザビエ(グサヴィエ)・ドゥ・カステラ
Xavier de Castella
という長年の男性パートナーが存在していた。
この二人の関係は、イヴ・サンローランとピエール・ベルジェの関係に似ていると言われる。
パートナーとしての歴史は長く、グサヴィエ氏が亡くなる前には、
5年以上をかけて2人で済むための豪邸を建設していたほど。
その豪邸は1989年に完成するが、
ほどなくしてグサヴィエ氏は1990年に若くして亡くなってしまう。
その他、1990年代初頭の高田賢三には幾つかの不幸が重なり、
ビジネスも傾いて1993年にはLVMHにブランドが買収されてしまった。
高田賢三のプライベート/恋愛関係というと、
一般的には、このグサヴィエ氏のイメージが強いため、
世間的には完全にゲイの男性だと思っている人もいると言われるが、そうではない。
彼は女性も男性も両方愛する人物で、トップ女性モデルの恋人が存在していた時期もあり。
それは、彼が日本にいた頃から憧れの存在であった
イヴ・サンローラン社には欠かせないモデルであった
ルル・ド・ラ・ファレーズ
Loulou de la Falaise
という女性。
(年齢的には賢三より10歳近く年下)
交際時期はグサヴィエ氏との関係と比べて短期間であったとされるが、
パリで成功してからの
- KENZO
- YEVS SAINT LAURENT
という2つのブランドは、どちらがプレタポルテの世界の
トップを競い合うようなライバル関係であったため、
サンローラン関係者はルルと賢三の関係を良くは思っていなかった模様。
そんなルルはその後、デザイナーとして活動しながら別の人と結婚。
子どもも設けたが、2011年に63歳で死去。
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