小篠綾子が自身のブランドを創設したのは70代

 
 
2011年秋から半年間に渡って放送されたNHK朝の連続テレビ小説
「カーネーション」の存在により、
コシノ3姉妹の母である小篠綾子(コシノアヤコ)の存在は全国に知れ渡った。
 
そして、マスコミでは
"日本におけるファッションデザイナーの草分け"
といったように紹介されているが、実はきちんと自身のブランドの立ち上げたのはかなり遅い。
 
また、自身のブランドでパリコレなどに参加していたわけでもない。
 
 
 


 
 
1913年に現在の兵庫県にあたる地域で誕生したのち
幼少期に大阪の岸和田に移住し、呉服屋の娘として育つ。
 
その後、10代になると実家が呉服屋であるものの、
和装ではなく洋装に対して強い憧れを抱くようになり、
岸和田で「コシノ洋装店」を開業。
 
3姉妹を育てながら服作りに励む生活をスタートさせた。
ただし、この時点ではまだ明確な自身のブランドをもっていたわけではなかった。
 
時は経ち、東京の文化服装学院などでデザインを学んだ娘たちは
1970年代から1980年代にかけて次々に世界的なデザイナーへと成長していった。
 
世界的デザイナーを3人も作り出した人物として
マスコミからの綾子への注目度もどんどん上昇していく。
 
 


 
そんな中、自身も娘たち同様にデザイナーとして
もっと積極的に活動していきたい気持ちが強くなり、
娘たちから反対の声をおしのけ、
1987年(74歳になる年)に「AYAKO KOSHINO」という自身のブランドをスタート。
 
そこから2000年代半ばに90代で死去するまで、
全盛期を迎えていた3人の娘たちと一緒にファッションデザイナーとして活躍した。
 
なお、娘は自分が作り出したものだからコピーは何の問題もない、
という自身の考えのもと、デザイン的には娘3人の作品をヒントにしたものも
多かったという事を、娘たちは度々メディアで笑い話として語っている。
 
 
 
 

 

 
 
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