パリでのプレタポルテの歴史はピエール・カルダンから始まった

 
古い時代の事すぎるため、あまり知られていない
「パリコレにおいて、いつ頃にプレタポルテの歴史が始まったのか」
という疑問を持ち続けてきたようなかた向けの情報です。
 
 


 
 
1950年代頃まではパリにおいて栄華を極めていた
「オートクチュール」という文化ながら、1970年代に入ると一気に衰退し、

  • KENZO
  • ISSEY MIYAKE
  • Jean=Paul Gaultier

をはじめとしたオートクチュール部門を最初から保有しない
「プレタポルテ専業ブランド」が続々生まれ始め、
"パリコレと言えばオートクチュールではなくプレタポルテ"
という時代に突入していく。
(細かく言うと、ゴルチエに関しては創業から約20年が経過した1997年に、あとからGaultier Parisというオートクチュールブランドを立ち上げた)
 
 
 


 
 
では、栄誉ある「パリ・クチュール組合」のメンバーの中で、
一体誰が最初にプレタポルテ事業に取り組み始めたのかというと、
それは、パリ有数のビジネスマンで、高い先見性を持つと言われる
ピエール・カルダン(Pierre Cardin)
 
 
他のメンバーに先駆けて彼は1959年に初のプレタポルテコレクションを発表
ここからプレタポルテの時代がスタートしていった。
 
さらに、当時はメンズ事業に本格的に取り組むメゾンが少なかった中、
翌1960年にはメンズのプレタポルテコレクションも発表した。
 
ちなみにカルダン・KENZOなどと共に1970年代のプレタポルテシーン
をリードしたイヴサンローランが「リヴゴーシュ(左岸という意味)」と名付けたプレタポルテラインをデビューさせたのは1966年の事。
 
シャネルのプレタポルテ進出はだいぶ遅く、
ココ・シャネルが生きていた頃に進出する事はなかった。
プレタポルテラインを立ち上げたのはココの死去から7年が経過した1978年。(カルダンの約20年遅れ)
 
 
 
 


 
[参考文献]
ピエールカルダン日本公式サイト
 
 
 
 
 
 

 

 
 
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