ニコル社(松田光弘創業)出身の主なデザイナー情報

 
 
日本におけるデザイナーズブランド展開企業の先駆けと言える、
松田光弘氏創業のニコル社(株式会社NICOLE)出身のデザイナー・業界人情報。
 
1980年代には社内から数多くのDCブランド系スターデザイナーを誕生させた。
 
 
 
*生涯を通じてニコル社で活躍した人物なども含みます。
 
 

甲賀真理子

1949年生まれ。文化服装学院のデザイン科出身者。1974年にニコル入りし、ニコルというブランドのスタッフとして活動。その後、ニコル社内にてZELDA(のちのMARIKO KOHGA)というブランドを立ち上げ、東京コレクションデザイナーで活躍

中野裕通

1951年生まれ。1972年にニコル入り、4年間に渡ってスタッフとして活動。その後、ビギグループに移籍。ヒロミチナカノを立ち上げてからはパリコレに参加していた時期もあり

田中啓一

文化服装学院(松田氏の出身校)のアパレルデザイン科を経てニコル入りし、ムッシュニコル部門に6年間在籍していた。その後、コムデギャルソン社へと移籍して同社のメンズ系ブランドのデザイナーとして活躍。一般的にはコムデギャルソン出身者というイメージが強め

小林由紀雄

1951年生まれ。桑沢デザイン研究所出身。1976年にニコル入りし、ムッシュニコルのデザイナーとして国際的に活躍

中島伊津子

1975年にニコル入りし、松田氏と並ぶ看板デザイナーとして活躍していた。しかし1988年に自殺し、若くして生涯を終えた

比嘉京子

1953年生まれ。文化服装学院のデザイン科卒業。デザイナーとして大成功したのち、2000年代に松田氏が亡くなるとニコル入りして「ブティック・ニコル」の後継者として活動していた時期があり

金子功

1939年生まれ。文化服装学院において高田賢三や5つ年上の松田氏などと共に「花の9期生」と呼ばれた人物の1人。ニコル社に所属していた時期があり、その頃にピンクハウスというDCブランドを立ち上げた。ニコルを離脱してビギグループに移籍してからもピンクハウスのデザイナーとして活躍

遠藤裕子/千葉美恵

二人とも松田氏にとって文化服装学院・デザイン科の後輩。同じ時期にニコル入りしてからデュオで「NICOLE」ブランドのデザイナーを務めていた時期があり

 
 
近年はデザイナーブランド企業というイメージが薄まっており、
各ブランドが東京コレクションに参加しない中、なかなかニコル所属のスターデザイナーは出現せず。
 
 
 

 

 
 
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